1.マルセーユ・プロヴァンス空港まで 7月12日(金) 16時51分上野行きの常磐線に乗り我孫子には17時20分到着した。 この我孫子から成田に行く「成田線」は、我孫子で25分程の待ち時間があって17時45分の出発となる。 昨日早朝の台風の通過以降、素晴らしい天気となっていて、今日も台風一過の晴天ということで雲一つない状況である。気温は多分32度位。ただ、ホーム上は少し風があってそれほど暑さを感じない。 やっと来た成田線の電車に乗って大体1時間、18時45分に成田空港駅に到着した。待ち合わせなどを含めて、自宅からは既に2時間以上かかっている。 4階の出発ロビーのEカウンターに行きNTS-YOURS2155の旨を説明してパスポートを提示したところ、予定より1時間早い(実際の受付開始は19時55分)にもかかわらずチェックインが完了した。復路も含めすべての航空券を受け取ることができた。 ただ、ここでちょっとした失敗をしてしまった。 往路の航空券がエールフランスのものだったので、エールフランスのカウンターに並んで再度チェックインの手続きをしてしまった。 ただこれはさすがにエールフランスの担当者も気が付いてそのままどうぞ、ということになった。 このあと手持ちの3万円を240ユーロに両替。丸々1週間以上海外旅行に行くのに所持金はわずか3万円(240ユーロ)と少ないのであるが、既に泊まる場所は確保できているし、また、現地での行動費、食事代などを含めておよそ3000ユーロを送ってある。今回はその3000ユーロの中から出費をしていけば良いことになる。そのため、両替した240ユーロは現地までの緊急時の手持ちということになる。 出国カウンタで荷物のチェックを受けたあと出国審査へ。搭乗ゲートの17番に着いたのが19時55分。成田発は21時55分、これから2時間の待ちである。 午後8時15分、飛行機が飛び立つまではあと1時間半ほどである。そろそろこの搭乗ゲートの周りにも人が集まり始めてきた。 午後9時25分、搭乗開始。搭乗順位は7番目位か。空いている中でスムースに搭乗できてラッキーであった。 45−Cの席というのも通路側で良かった。飛行機の一番奥のブロックで、こじんまりと纏まっている。 国際線の飛行機というよりは、田舎に帰る帰省列車みたいなもので、じいちゃん・ばぁちゃんがいる、あちこちで赤ちゃんが泣いている、若い恋人同士がいる、国に帰るのだろうヤングギャルはいるで出発直前まではお祭り騒ぎ。もちろん小さな子供は通路を這い回ったり走り回ったりしている始末である。そして午後9時55分定刻出発。 離陸後は急速に高度をあげ10分後には水平飛行となる。 夜間につき照明を暗くするということで、機内の照明が少し暗くなってしまった。ゆっくり読もうと思って持ち込んだ「文芸春秋」がやっと読める程度の明るさである。小1時間も読んでいたのだが、さすがに寝不足などもあって少し眠くなってきた。 『夜の10時ころの出発便というのは時間も遅いので健康にも配慮して食事は出ないのか・・・・』とチョッピリ残念に思っていたところに追い討ちをかけるように、午後11時40分頃になって、CAが順番に回ってきて何を飲むか聞いている。隣の新婚夫婦はビールを頼んだ。 「ウィスキープリーズ・・・・」 「ウィズアイス?」 「ヤ−」 オンザロックのウィスキーが出てきた。 この時点の解釈では『夜もだいぶ更けてきたから、アルコールでも入れて、朝までしっかり眠りなさい!! てことか (~_~;)』と思い込んでしまった。 実は、飛行機の中で多分夕食が出ると思って、昼間の12時に食事を取ったあと、まったく食べ物を口にしていない。 出国審査の後、食事のできる時間があったのだが、『機内食・・・命』と思っていたので我慢したのである。 今にして思えば食べておけばよかったということになる。 このまま眠ってしまえば、パリに午前4時過ぎに到着して、そのあと3時間の待ち時間のあと、今度はパリからマルセイユに向けて、午前7時過ぎの出発となる。 こんな早朝は、とても食堂などやっている時間ではない。もちろん、立ち食い蕎麦屋やコンビニなどが店を出しているとも思われない。当たり前である。そこはヨーロッパのもっとも激しい飛行機の交差点なのである。 シャルル・ド・ゴール空港の真ん中に立ち食い蕎麦屋があって、どうする、本当に??? てなことを考えつつ、ウィスキーをチビリチビリと舐めているとアルコールの効果覿面で眠くなってきた。 7月13日(土) 0時を少し過ぎたあたりでフランス語の機内放送があり、それに続いて英語、日本語での説明があった。 つまり、これから夕食を出すが、今から配る夕食メニュー表で何を食べるか決めておけ、というものである。 『おお、何だ!夕食出るんじゃないの・・・良かったなぁ、ホッ! やっぱ、機内食『命ぃ〜』』 この機内放送で夕食にありつけることが決まった。これほどありがたいことはない。あきらめていた夕食がすぐにでも出てくるのである。 が、しかし、ひとつ問題がある。フランス語と日本語で書かれたメニューが配られたもののそんなものとはまったく無縁の食生活であったため、メニューに書かれている内容が理解できないのである。 それでも配膳時に「白身魚」の文字を頼りに、いざとなったら何とかなる。なんでも出たものを食べれればいいのだからと覚悟を決めたのであった。結局、「FISH」と元気よく答えた(スチュワーデスがフランス人で日本語を解さない為英語で答えた)ものの、出てきたものは、牛ステーキが中心の献立であった??!!??。 それにしても、機内食ということであったのでもう少し簡素なものかと思っていたのだが、量も十分すぎるくらいあるし、食べてみると実に美味いものであった。 結局食事は0時20分から始まり20分程度で平らげてしまった。 食事を終えた時点で腕時計をパリの時間に合わせる。時差がサマータイムの関係もあって7時間なので、前日の午後5時45分にあわせる。 フランス時間午前4時20分パリシャルル・ド・ゴール空港に到着する。 わけもわからず入国手続き。 ここで乗り換えてマルセイユに行く人は疎らで、自分の前にアラブ系の人が1人、後に日本人と思われる男女は1組だけである。入国手続を済ませたあとそのまま出口に行く。 で、この出口を出るともうもとの場所には戻れない仕組みとなっている。 この出口を出るとFターミナルの中になり、まったくと言って良いぐらい人がいない。 そしてこのFターミナルで迷ってしまった。 どこに行けば次の出発便が出るのかまったくわからない。 焦ってマルセイユまでの航空券を見るとDターミナルとなっている。 しばらくうろうろして空港の案内図などを見たが、どのように行けばいいのかどうしてもわからない。 『じゃあ、いったん外に出よう。』と思い、なんとなくFターミナルの外に出た。 ターミナル入り口のガラスドアを開けて外に出たところに、2組の乗客が乗った小型のバスが待っている。 運転手に、Dターミナルに行くのか、と聞くと、行く、と言う。 すぐにバスに乗り込み、出発まで不安な気持ちで待っていた。 何が不安かというと、Dターミナルについても多分そこがDターミナルだとはわからないだろうな、ということと、降りるときに料金はどのように払えばいいんだ?ということである。 加えて、そのまま乗っていってしまったら、どこの行くんだろうか、という不安もある。 やっぱりもっとまじめに英会話の勉強をしておけばよかったと、今更反省しても仕方のないところで大いに反省してしまった。 結果からいえば、各ターミナル入り口前に着くごとに運転手が大きな声で言ってくれるし、更に、最初バスに乗るときに「Dターミナルに行くのか?」と尋ねていたものだから、Dターミナルに到着したときに自分の顔を見て合図を送ってくれた。大変ありがたかった。料金は無料で、このシャルル・ド・ゴール空港のターミナル間をシャトル運航で結んでいる無料バスであった。 Dターミナルで降りたあと、Fターミナルと同様の大きなガラスの扉を開けて中に入る。目指す搭乗ゲートはすぐにわかった。 そこで更に、ゲート入り口(こんな表現あるのか?)のモニター画面に表示されている【0715 Marseille AF7660】という文字を確認してやっと気持ちに余裕がでてきた。 そうなるといろいろな欲求が目を覚ますものである。 まずはトイレである。今まで我慢していた・・・というよりは不安と緊張ですっかり忘れていた・・・ものを思い出したわけだ。しっかりと用を足したあと、誰もいない洗面室でシェービング、洗顔、歯磨きを済ませる。 腹が空いていることに気が付いたのだが、まだどこも店は開いていない。路に迷わないようにぐるぐるとターミナル付近を歩いてみるが食い物やはおろか何の店も開いていない。来るときに飛行機の中で考えていたことが現実となってしまった。屋台のラーメン屋や立ち食い蕎麦屋などは一切ない。朝食は諦めることにした。 あとは、時間が来るまでゆっくりと待てばいいだけだ。 6時台にマルセイユ行きの搭乗案内があって、ゲートを通過して出発ロビーに入った。 が、驚いたことに集まっている乗客の中で日本人は自分1人だけである。ほかは全部外国人である。それも白人系なのである。 出発時刻の7時15分になっても搭乗が始まらないしなんのアナウンスもない。 さすがに、ほかの乗客たちもざわつき始めている。 7時半過ぎに案内放送があり、 「・・・のため30分程遅れる」 というが「・・・」がまったくわからなかった。 結局、「・・・」のため30分以上遅れて搭乗し、全員が搭乗したのを確認した後、すぐに離陸用の滑走路に向かった。 ところが、せっかく滑走路に出たものの、乗客の中に急病人が出てしまった。 この飛行機は真ん中の通路を挟んで両側に3席ずつしかないかなり小型のものである。全部で150人くらいの乗客が乗れる程度のもので、自分が座ったのは後ろから6列目あたりであった。たまたま3席全部があいていたのでしっかりと窓側に席を取ったわけだ。 通路を挟んだ向こう3席は窓際に中年男性、その隣2席に70歳前後と思われる夫婦が座っっていた。 このご夫婦が離陸用の滑走路に移る途中から奥さんがかなり大きな声でしゃべっている・・・。そのうちに女性乗務員に手を上げて大きな声で「シィルブプレ、シィルブプレ!」と叫び始めた。 スチュワーデスが飛んできて、かなり細かく喋っている(フランス語で内容は全くわからない (T_T) )。 そのうちに、機内放送で医者がいるかどうかを確認している(簡単な英語だったので理解可能。)。 しばらくしても誰も手を挙げる様子もなく、どうやらこの飛行機には医者は乗っていないようであった。 はじめのうちは気分が悪いらしくしていた男性は、突然カクンと首をたれ意識がなくなってしまった。 奥さんがいくら頬を平手打ちにしても体中から力が抜けたようになってダランとしている。 再度機内放送があり、急病人が発生したので、医者を乗せるため滑走路を引き返すという(なんとこれも理解できた。)。 ある程度滑走路を戻ったところで、医者が乗り込んできた。 しばらく診察したあとどうやらマルセイユ行きは無理と判断したらしく、ふらつきながらも意識の回復しはじめた男性を奥さんと医者で抱えて降りていってしまった。 そして、飛行機は滑走路の元の位置に戻って再出発となった。 そのため全体で1時間半以上の遅れで出発することになってしまった。 パリは、早朝の到着時からずっと雨が降っていて、マルセイユに飛び立つ時刻にも小雨が降っていた。そのため上空に上がってもずっと雲の上を飛ぶことになってしまい、せっかく窓際に座ったのに雲しか見えない状況であった。 離陸して暫くたつと、クロワッサンにコーヒーの機内サービスがあり、若干なりとも空腹を満たすことができた。 恥ずかしい話だが、CAに飲み物を聞かれたときに「コーヒー」と英語で言ったのに出てきたものは「コーラ」だった。 さらに、クロワッサンが出てきたのだが、比較的小さなトレーに10個程度載っていたものだから、トレーごともらえるものだと思って、CAの持っていたトレーに手をかけて引っ張ってしまった。さすがにCAも驚いて「一つだけですよ!」と笑顔(大声を出してかなり笑っていた。)で言われてしまった。 東京からパリまでの機内食はトレーごともらえたので、その感覚で失敗してしまった。 軽食のあとは、失敗もあってか緊張がほぐれほんの一瞬のつもりで眠ることにした。 そして気がつくと1時間近く経っており、飛行機は南仏の田園地帯を飛んでいるようだった。さっきまで雲しか見られなかったことが嘘のようによく晴れていて畑や道路、それに道路に沿って点在する家々が実に良く見える。 しばらくしてマルセイユ空港がみえる位置まで来る。 いったん海のほうまで飛んで、そこからマルセイユ空港への着陸態勢となる。 すぐ傍に海、地中海が光っている。 飛行機からはプロヴァンス地方の家々の赤い屋根とピンクっぽい壁が見える。 飛行場近くの家々にはどこにでもプールがあってその水の青さが際立っている。 そして飛行機は無事、マルセイユ空港の滑走路に着陸した。 中年の独立国へ |