8月9日:帯広〜静内


襟裳岬まで

 帯広グランドホテルは午前7時55分に出発。
 出発のときに距離メーターを見ると自宅を出発して既に1770キロメートル走ったことになる。
 大体1日200キロメートルの走りとなるのだが、北海道を走る速さとしてはかなりゆっくりした走りである。
 今日の第一目標は、襟裳岬である。襟裳岬を見たのは1972年の旅行のときだから実に28年前ということになる。
 帯広市街からは国道236号線を走ることとなる。1週間前に通った真鍋庭園の道である。そして、昨日見学したばっかりの紫竹ガーデンのそばを通って南下する道である。あれほど迷った、昨日の紫竹ガーデンへの道を簡単に迷わずに走っている。一度通ると不思議に道順を覚えるものである。

 最初に車を止めたのが旧幸福駅。広尾国道と呼ばれている236号線からは左手に1kmほど曲がることになるのだが、行くことにした。本当はその前に愛国駅があったのだが、見逃してしまって旧「幸福駅」に辿りついたわけである。
 旧幸福駅の場所には昔ながらの駅舎とその駅前には土産物屋が2軒。松林の中に車を止めて見学してみる。駅舎の内側は、ここを訪れた記念として切符や身分証明書、写真、手紙が四方八方の壁に張り尽くされており、もちろん天井までもびっしりと隙間がないほどこれらのもので埋まっている。
 駅舎の内部を写真に撮ったのだが、実はあまり気分が良くなく、今回このホームページに載せるのをやめたわけである。はっきり言えば、駅舎の内部が紙で埋まりかび臭い匂いがして好きになれなかったからである。そんな駅舎を通って駅のホームに上がると明るい日差しがあって、風かさわやかで、夏の北海道のローカル線・・・という感じがする。

 駅舎とホームの間にある幸福駅の由来を見ると「幸福駅 開駅 昭和31年11月1日 この地方はもと「幸震」といっていたが、福井県からの移住者(明治29年入植)が多いので、上の字を一字ずつとって「幸福」としたといわれ、また、将来の幸福を願う意味もあって定められた部落名をそのまま駅名としたもの」とある。
 また、もうひとつの説明板には「幸福駅は昭和4年の広尾線開通から27年後の昭和31年に設置されました。広尾線の開通は十勝南部の開拓を急速に進め、多大な功績を残すとともに、テレビで全国に紹介されてからは、「幸福行き」の切符に人気が出始め「愛国・幸福ブーム」を呼ぶなど、数々の思い出を残してきました。しかし、昭和62年、国鉄再建の中で広尾線が廃止となり、幸福駅の歴史が閉じられた。」とある。  と言うことは、駅としては31年間の寿命であったのだが、もしかしたら、我々の世代では誰でも知っている最も有名なローカル駅でもあったわけだ。
 駅から出て、お土産やを覗く。いまだに売っている「幸福駅」の切符のキーホルダーを購入。うえの写真は駅舎を出たところにあった、朽ち果てた駅名表示の看板だったが、新しく作られたものを撮影するよりも良いと思って撮った1枚である。

 この幸福駅を出て8Km程度のところにあるのが「道の駅 なかさつない」である。ここではカントリープラザを見学、この中で、中札内の農業の歴史を記した表があるのだが、
明治38年   中札内村の開拓始まる
昭和22年   大正村から分村、中札内村農地委員会設立
となっているのだが、この間実に42年間の農業の歴史を省いてしまっている。開拓した人たちの苦労もあったり、干ばつや水害、冷害などを乗り越えてきた農民の歴史がもっと詳しくわかることが出きれば良いのになぁ、と思った次第である。
 この道の駅でもらったパンフレットにタレントの田中義剛の「花畑牧場」が載っていた。ちょっと行ってみることにしたのだが、236号線から右に折れて、直線道路で5キロメートルのところにある。この道路は「上札内農免道路」なのであるが、本当に直線で、先が見えないくらい真っ直ぐ南西に向かっているのである。しかし、到着した「花畑牧場」は見学時間外で見ることはできなかった。

 次の目標は、更別にある「道の駅 さらべつ」である。ここは少し236号線から離れなければならないのだが、そろそろ腹もすいてきたので、ここで遅い朝食でもと言うことで立ち寄ることとした。
 道の駅さらべつの建物は「PIPOPA」といい、中に観光物産の店がある。もちろん入った左手には「ポテト」と言う名前のレストランがある。
 ここで最初にしたのが食事。2人とも意見一致で、朝から「豚てんぷら丼」を注文する。
 できあがるまで10分ほどかかった。
 ここに到着したのが午前9時20分、そして、レストランが開店するのが9時30分で、開店早々の客で「豚てんぷら丼」を頼む人間がそんなにいないのだろう。
 出てきたものは、ご飯は炊きたて、天ぷらは揚げたて、たれが甘いのだが、これが実に美味しい。かなりの量で、妻は全部はとても食べられないといっていたが、なんということはない、ほぼ同時に完璧に食べ尽くすという結果であった。感想は「美味しいね!」であった。

 食後の腹ごなしで物産館を歩き回ったのだが、結局いろいろなものを買いつけてしまった、最初に買ったのが「長いも」。「大地の恵みをあなたに!}のキャッチフレーズ迫られてしまうと、とろろ大好き人間である自分としては買わざる得ない。かって、北海道で食べた長いもの美味さが、今でも記憶に残っている。しかも1本100円と安い。
 次がでんぷん。これは単なるでんぷんではない。「つぶつぶでんぷん」というものである。どこがつぶつぶか分からないのだが、とにかく購入した。もちろん使い方が分からないので、簡単レシピのリーフレットをもらってきた。内容的には「お茶請けに、おやつに・・・つぶつぶでんぷんで作るだんご「豆だんごの作り方」」と「水を加えて3分・・・生でんぷんでクレープが楽しめます「生でんぷんでクレープを食べよう」」である。この二つのレシピはまだ試していないのだが、いずれ試したいと思っている。
 そして、恐怖のポテトチップス。
 最初にここに入ったときに、村特産品の「どんぐり村のポテトチップス」が山ほどあったのだが、食事を終えて戻ってみると売り場は空となっている。しばらくして、新しいポテトチップスが運ばれてきたら、一人で10袋程度買って帰る人が何人もいる。これは「行列ができそうなポテトチップス」だと思い、あせって数袋を買いつけた次第である。

 再び236号線に戻り、忠類へ。道の駅忠類を過ぎて、しばらく走ると、浦幌方面から来る国道336号線とぶつかる。これからはこの336号を走ることとなる。もちろん236号でも日高には行けるのだが、この道は直接日高に行くために日高山脈越えをする。頂上付近はトンネルを通ることとなるのだが、襟裳岬を通ることができない。したがって、336号を通るのである。


 広尾の町を出た直後にぶつかるのがフンベの滝である。
 滝の横にある説明書きは次の通り。
 「日高山脈と黄金道路

 日高山脈は、南北140キロメートルに及ぶ北海道の背骨をなす大山脈で、ヒマラヤやアルプスと同じ頃、その骨格が組み立てられました。幌尻岳(2052m)を最高峰として、カムイエクウチカウシ山、ペテガリ岳など1500〜2000メートル級の山波が連なり、襟裳岬の岩礁となって太平洋に没します。また、広尾町とえりも町庶野にかけての33kmは切り立った崖の連続であり、特異の風景を作り出しています。

 当時の道路は、寛政10年(1798年)、近藤重蔵らが山道を開いたことに始まり、その後本格的には昭和2年から昭和9年にかけ絶壁と岩礁の中、多大な費用を費やして完成したとのことです。このことから通称「黄金道路」と呼ばれています。

 ここの「フンベの滝」は砂礫層を浸透した水が、株の岩盤上を流れ、この崖地で表面に流出しているものであり、年中枯れることなく、夏は涼感を漂わせるとともに、冬に大きな氷の造形美が見られる」

 つまり、今から通る広尾から庶野に至るまでのこの336号線は、工事の困難さも手伝って、道路に金を敷き詰めているといわれるほど建設資金がかかりまた時間を費やしたところから「黄金道路」とつけられた名前であることが分かった。これは、この道を作った人たちに感謝しながら、景色を十分に楽しみながら走らねばならないと思った。


 庶野から襟裳岬に行くのには、道道34号線にはいる。道はかなり狭くなる。庶野から約15キロのところが襟裳岬である。

 岬の手前にある駐車場に車を止めて、ゆっくりと見学路を歩く。白い灯台のところで、岬全体が見渡せる。しばらくは海を見つめる。と、海の中でダイビングを楽しんでいるグループがある。小さな点のように見える人間が浮き沈みしているのが見える。ここはゼニガタアザラシの生息地である。海の中で見える襟裳の水中の岩礁地帯はどんなだろうと興味が沸く。
 岬の先端から今度は「風の館」へ。昔はこんなものなかったのに、と思ってのぞいたら「平成9年開場」となっている。襟裳の強風(年間風速10メートル以上の日が290日近くあるらしい)を有効に利用しようというテーマ館ということである。ここを回って最後は洞窟のようなところから再び駐車場側に出てくるのである。
 駐車場横のお土産屋を回っててここでもお土産を購入。


静内まで

 襟裳岬を出発すると直ぐ右側に大きな発電用の風車が2基見える。写真を撮ろうと思うのだが、道が狭いうえにすごいスピードで車が走っているので、撮影を断念。
 今度の道は北上する道となる。10kmほど走ると、再び336号線にぶつかる。あとは海岸線をずっーーーと走れば良いのである。ところが実に工事中の場所がおおい。トンネルも数カ所あるのだが、道が狭いところに持ってきて、道路の半分が工事のため使えない状態である。少し進んでは渋滞の繰り返しである。考え見れば今日泊まる所を確保していない。途中幌満で車を止め、今夜止まる場所の検討に入る。キャンプ場がいくつかある。キャンプをするのなら温泉着きの場所がいい。地図で道路を追っていくと、この先にあるキャンプ場は、様似のある「親子岩ふれあいビーチキャンプ場」とそのずっと先にある静内町の「緑のふるさと温泉の森キャンプ場」である。これは当然、温泉の森キャンプ場ということとなる。
 更にもっと細かい地図を取り出してみると、キャンプ場に隣接したところに静内温泉があって町営の宿泊施設がある。キャンプもいいがゆっくり畳の上で寝て温泉三昧もなかなか・・・ということとなってしまい、今夜の泊まりの第一目標は「静内温泉」とかってに決定した。しかし、電話番号など全く分からないのでとにかく行ってみることにした。

 海岸では岸から大きな引っ掛けるための鉤がついたもので昆布漁をしている人たちが見える。海は結構あれていて、海岸に打ち上げられている昆布もかなりの量となっている。
 しばらく走って「三石」に到着する。知らなかったのだが、ここにも道の駅があった。道の駅に隣接してオートキャンプ場などもあり環境もいい。しかも海岸縁には三石温泉もある。一瞬、ここで止まろうかな、とも考えたのだが、静内まではもう少し。静内で勝負することとした。
 しかし、時間は正午を大分回っているので、ここで遅い昼食を摂る。道の駅の2回にある食堂で「海鮮ラーメン」を食べる。海老、蟹、ホタテ、いかが入ってる醤油味のラーメンである。

 三石を出て10分も走ると静内町に入る。JR東静内を通過して直ぐのところを右折する。そのまま4キロ程度走ると、静内温泉に到着した。駐車場に車を止めて、入り口を見ると・・
残念! 「本日満室」の立て札が玄関正面に張ってある。これでは、フロントに行って頼み込むこともできない。キャンプ場など、すっかり頭から飛んでいる。そのまま静内の市街に入る前に、本で宿泊できるホテル探す。しばらく調べて、「静内ウエリントンホテル」を探し当てる。電話をかけると・・空いているという。地図で場所を調べてやっと到着。町のど真ん中のホテルである。
 結局ここで今夜は泊まり。
 シャワーを浴びてから街中に繰り出す。いろいろと歩いてみたがなかなかいい場所がない。結局、寿司を食べることで意見が一致。ビールで乾杯してあとは美味しいお寿司に舌鼓・・・・。