旅立ち〜函館まで


 昭和47年8月22日、友人の吉本と、上野駅の14番線ホームで待ち合わせる。
 ぎりぎりで吉本が来る。
 乗ろうと思っている列車の上野駅発は19時05分である。
 そしてその列車の14番線ホームへの入線は18時25分である。
 すでに列車は到着して、乗客の乗り込みは終了してそれぞれ好きな場所に席をとっている。  吉本が着たのが19時を若干回った時刻。
 これには参った。
 早速、列車(青森行き 特急八甲田)に乗り込んだ。
 8月も下旬になると北へ向かう列車は空いている。
 先に乗り込んだ他の乗客たちは、あちらこちらに点在する程度である。
 正にどこに座っても文句は言われず、自由に使ってよいと言う状況である。
 通路を真中に挟んで左右のボックス(4人掛け)を吉本とそれぞれ1ボックスを占拠して座ることにした。

 そして19時05分、定刻どおりの発車である。
 発車してすぐに回って来た車内販売で必要なものを買う。
  弁  当   150円
  お  茶    20円
  フィルム   580円
 アルバイトの帰りに直接、上野駅に来たのでまだ夕飯は食べていない。
 これは吉本も同じであろう。
 駅弁を食べながらしばらくはアルバイトの話をする。
 今回の北海道旅行のために、この夏は、ずっとアルバイトを続けてきたわけだ。
 話題はそのうちに勉強の話になり、次第に眠くなってきて午後の10時過ぎには眠りにつく。

DiscoverJapan十和田丸
 考えてみれば、大学に入ってから、毎年どこかに行くようになった。
 最初の年は、所属したクラブの夏合宿で志賀高原−熊の湯である。
 1週間の合宿で、山登りもしたし、飲み会も豪華絢爛にやった。
 マンドリンクラブだったので、遊びで忙しいなか、寝る暇を惜しんでソロ発表会のための練習も積んだ、ということで結構楽しんだ。
 2年になって秋の文化祭をふけて飛騨の山奥の温泉にいった。
 このときはアルバイトで知り合った2つ上の先輩と一緒であった。
 去年は、友人の車2台5人で金沢、飛騨高山まで足を延ばした。

 そして今年の夏である。
 今度は、同じ学部の友人と北海道への旅である。

 吉本は、もともと長州すなわち山口県の出身である。
 下関で生まれ育ち、大学へ入るために上京してきたのである。
 同じ学部ではあったが、クラスが違っていたため、当初はお互いまったく知らない存在だった。
 たまたま入ったクラブで知り合い、酒などを飲み交わすうちに意気投合したのである。
 学部も同じだったことに加え帰る方向も西武池袋線富士見台と石神井公園で近かったこともあって、勉強に(?)遊びにきそいあったものである。
 また、良くわがアパートにおいて割り勘で酒とつまみを買ってきて呑んだものである。
 彼とはそういうことで気心が知れた間柄であるので、一緒に旅行というのは楽である。

 翌日午前4時30分に目が醒める。
 列車は相変わらず鈍い振動を伝えている。
 外は黎明の時間を迎えている。
 トイレから戻ってくると吉本も起き出している。
 昨夜は結局、隣り合うボックスひとつずつ占領して眠ってしまったみたいだ。
 しかし、車内を見ると、同様にして何人もが眠っている。それでも列車には空席が目立っている。
 午前6時を回ったところで青森につく。
 快晴である。
 大きなボストンバッグを持って連絡船の乗り場までゆっくりと歩く。
 今日乗る青函連絡船「十和田丸」は7時40分の出航である。
 十分に時間もあるし空いている、したがって急ぐ必要はない。
 連絡船の改札の列に荷物を並べ、立ち食い蕎麦で朝食をとる。
 これから函館までは約4時間の船旅である。
 その前の腹ごしらえといったところである。
 改札をする前に、全員に紙が配られ、名前を書く、乗船名簿である。
 これを改札で渡しつつ、連絡船に乗り込む。
 早速一番楽な大広間にいき、窓際に陣地をとり荷物をおいてすぐに甲板に出る。
 天気が良くて気持ちが良い。
 潮風の中になんとなく北海道の匂いがするようだ。

 甲板に座り込みハイライトに火をつける。
 風が強いので燐寸やライターではだめである。
 カメラのレンズをはずして太陽の光を利用して火をつけるのである。
 吉本はこれが気に入ったのか、ほんのわずかな時間の中でセブンスターを4本も吸い続けた。
 そして、とりとめもない話をしながら、次第に近づいてくる北の大地を眺める。
 函館山が見える。
 正午前に函館に到着し、いよいよ本当の旅の始まりである。