8 月 10 日
浜頓別〜天北峠〜音威子府〜天塩川温泉
−−− 下頓別まで −−−
最初のキャンプということ、それに加えて、夜も気温がそれほど下がらず寝苦しかったこともあって、午前5時3分に起床。昨夜は8時ころには眠ってるので9時間も眠れば十分なはずだが、実際は、深夜12時ちょうど、3時、3時15分、4時と目が醒めているので、その分眠りは浅い。
外に出ると、今日も快晴である。北の空にほんの少し薄い雲があるだけで、日が高くなればこれもなくなってしまいそうだ。
テントをたたみ、寝袋、マットを片付け、自転車に全部積んで出発である。が,顔も洗っていないことに気がついて、そのままキャンプ場の出口にある洗面場所に直行。顔を洗い,歯を漱ぎ、口を濯いだ。
自転車のところに戻り,顔、両腕,両足に日焼け止めクリームを塗る。昨日も塗ったのだが,左足のひざの上がやられてしまった。ズボンでこすれてクリームが落ちてしまうのだ。今日はこんな失敗がないように、途中でも塗れるように日焼け止めクリームをウェストバックに放り込む。
6時30分、クッチャロ湖畔キャンプ場(浜頓別)を出発。
道路はゆるいアップダウンを繰り返しながら続いている。時間が早いためか、自動車やオートバイなどと会うことも稀である。稚内から浜頓別までは国道238号だったが,今度は275号となる。この道路は下頓別までは林間コースといった感じで、自転車で走るには比較的楽な道路である。途中からは左に頓別川を見ながらの走りとなる。
走りはじめて50分程度たったところで小さな集落に入る。道標で「下頓別」とわかる。まだ早い時間なのに気温がどんどん上がってきている。どこかで水を補給したい。同時に朝食をどこで摂ろうかと考える。まずは、食料の買い込みである。集落の中央の緩やかなカーブの手前に食料品店が見える。自転車を止め、店に入る。いろいろなものが売っている。もちろん食料品が中心なのだが、雑貨もかなり取扱っているようだ。
今日は,どうしても買わなければならないものがある。それは「箸」である。割り箸でいいのだが,これだけは手に入れたい。昨夜は、鮭茶漬けを箸もスプーンもなかった(持っていくのをすっかり失念した)ため、コッフェルから箸を使わず直接、流し込んだわけである。あまりにも惨めであった。スプーンよりは「箸」、箸があれば,調理ももっと上手く(?)出来るし、割り箸であれば一回毎に処分でき衛生的であり、また、経済的でもある。燃やせるゴミにも分類できる。
そんなことで,店に入って最初に
「箸ありますか?割り箸で良いんですけれど・・」
「奥の棚のところにあるよ、ほら、これでいいかい!」
この割り箸は面白く20膳分が一つ一つ完全に紙の袋に入っていて,その紙の袋が全部くっついているののである。しかもひとつひとつの箸の袋の間はミシン目が走っているので、切り離して使うことが可能なのである。気に入ってまずこれを購入。店の左手のガラスケースに佃煮やら漬物があるのだが肝心な主食となるものがない。もう一度見まわすと、カップ麺がある。数種類あるのだが、その中から天ぷらそばを選ぶ。これに水1本を加えて約400円。
「麺、すぐに食べるのか?」
おやじさんが聞く。
「ええ、少し走って湯を沸かしてから食べようと思っているんですよ」
「お〜い、熱い湯持って来い」
とおやじさんが,店の奥に怒鳴っている。
『まさか親爺さん・・このカップ麺のために湯を持って来いと言っているんじゃないよね?』
と心の中でつぶやきながら、買ったものをもらおうとすると、突然、ガラスケースから栄養ドリンク1本取りだしそれを買ったものの中に入れてくれて
「これは疲れたときに飲めばいいぞ!!」
とサービスしてくれた。
「おとうさん! お湯を持ってきたけれどどうすんの?」
奥さんが湯気のたつ薬缶を持ってきた。
「あんた、さあ,早くこれ使って食べていきなさいよ」
おやじさんが、カップ麺を開けろという。
これほど嬉しいことはない。言葉に甘えて、早速麺に熱湯をもらい、3分間の我慢をした。
カップ麺を食べ終え、挨拶をして出発しようとしたところ,奥さんがパックにまだ暖かい炊き立てのご飯と煮魚、漬物を入れて持ってきてくれて
「カップ麺だけじゃおなか一杯にならないから、これ途中で食べて!!」
本当にありがたくいただき、自転車の荷台にそのまま括り付けて出発。「本目商店」のおやじさん,奥さん本当にありがとうございました。
−−− 天塩川温泉キャンプ場のわけ −−−
8時35分、中頓別到着、郵便局に入り「風景印」をもらう。
10時30分、道の駅「ピンネシリ」に到着。自転車を止めるとバリバリに暑く、まずはアイスクリーム。道の駅の案内を見ると温泉があるらしい。
『今日はいずれにしても音威子府なのだから、ゆっくりしても大丈夫だ、ここで温泉に入っていこう』と思い、国道を渡ったところにある温泉に入りにいく。素晴らしい温泉なのだが、日焼けした足と腕にはかなり強烈な刺激がある。『刺激があると言うことはかなり効果があるということだろう』と勝手に合点して我慢我慢で、湯船につかる。
温泉から出た後は、「猿払牛乳」に舌鼓。しばらく休憩後、再び275号線に乗り、一気に音威子府へ。と思ったのだが,途中、低い峠ではあるが「天北峠」がある。ここは、しかし、一気に上り,後は下り一直線で音威子府の街にはいる。入るとすぐに道の駅「おといねっぷ」に到着することとなるのだが、この日はたまたま「おといねっぷ道の駅」の定休日。トイレなどは使えたものの、何の情報も取れず、写真を1枚撮っただけで出発。まだ午後2時過ぎである。
しかし、今日は、どうしても音威子府市内に泊まりたい。それもホテルか日本旅館である。駅前から探していくのだが、わずか1軒しかない旅館に「満室」で断られてしまった。そこで音威子府から8kmほどのところにある天塩川温泉に電話を入れるとやはり満室。お盆の期間はチョット泊まりは無理といわれてしまう。
こうなると、旅館などに泊まることはあきらめなくてはならない。あとはキャンプである。この場合、選択肢が二つある。ひとつは、このまま音威子府にある中島公園キャンプ場に行ってテントを張るか、無理してでもあと8キロメートル走り、天塩川温泉の付属のリバーサイドキャンプ場まで行くかである。
結局、温泉に入れるということで、頑張って「天塩川温泉」まで行くこととした。キャンプ場なら空いているはずだ。
音威子府〜天塩川までは国道40号を走る。今までの地方国道に比べややトラックなどの大型車を中心として交通量が多い。8kmくらい走ったところで、トーテムポールの目印を見つけた。ここから左に折れるらしい。
「フムッ?」
長〜い下り坂が続き気持ちがいいのだが、良く考えてみると、明日この道を戻ってこなければならない。しかし、明日のことは明日考えよう、と割り切る。坂を下ったところで天塩川に架かる長い橋を渡る。橋
の中央で記念写真。とうとうと流れる天塩川を撮影。
橋を渡りきったところを右に曲がり少し登ると天塩川温泉の建物となる。ここでキャンプ場の受付を済ませ、裏手にあるキャンプ場へ。まだ、あまりテントが張られていない。午後3時半だからまだ早いのである。区画がいくつかに分かれているキャンプ場だが,それら全てが芝生となっており,テントを張るのには実に都合がいい。地面が平らでふんわりしていて、夏には涼しい。お勧めのキャンプ場である。また、自動車やオートバイなどは、キャンプサイトの下に駐車場があってここにおくことになっている。このため、全体的にキャンプ場は静かである。炊事場、水呑場などは1箇所だが、十分なくらいこじんまりとしたキャンプ場である。管理が良く、手入れが行き届いたキャンプ場であった。
自転車から荷物を下ろし、芝生の中央にテントを張る。ここには虻などいない。ゆっくりとテンとが張れる。持ってきた荷物を全部テントの中に入れ、タオルを持って、下の天塩川温泉に入りに行った。露天風呂に入ると、天塩川がゆっくりと流れているのが見える。風が実に心地よい。しっかりと温泉につかり,体を洗い、再び温泉につかり、あとはロビーでビール大ジョッキー2杯。
体の火照りがとれたのでテントに戻る。時間はまだ早いのだが,夕食の仕度。先ず、米を炊く。コッフェルに米1合程度をとり、炊事場で良く砥ぎ、水を張ってガスストーブに。20分もしないで米が炊き上がる。食べてみると若干芯がある。しかし、薄手のチタンのコッフェルで軽いふただけで炊いていてこれくらい出来れば上出来である。再び蓋をして上に重石を載せて蒸らす。次は,コーンスープである。コッフェルの小さい方に湯を沸かし,これにインスタントのコーンスープの素を入れて良くかき混ぜて完成である。
これをどのようにして食べるかというと、若干芯の残ったご飯の上にコーンスープをかければ、「コーンスープライス」の出来あがりである。柔らかめに炊いたご飯よりもチョット芯が残るくらいのご飯でやると,実に上手い(自分だけがそう思っている。本当は、芯のあるご飯にバター大さじ1と微塵にしたパセリなどを良く混ぜて、その上から粘度の高いコーンスープをかければもっと充実したのかもしれないが、材料がないため、こんな料理になってしまった。)
食事が終了して満腹状態で「地底旅行」読む。今日は一気に40ページも読み進んだ。
日が落ちて,午後7時就寝。
[本日の走行距離:76.5Km、合計:151.5Km]
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