プロローグ
まさにプロローグ
1998年の北海道旅行が終わったあと、北海道各地の風景が帰りのフェリーの中で頭の中を駆け巡った。そして、そこにいつもあるのは、自転車で旅している若い人の姿だった。
「来年は、どうしても自転車で北海道を走り抜けよう・・・」と、未だ北海道から自宅に帰りつく前に、来年の北海道行きを決定してしまったのである。
しかし、学生時代ならまだしも、中年チャリンコ親爺一人旅では様にならない。そこで思いついたのが、大型RVによる伴走である。「Challenge」と言う言葉が合うような形での北海道行としようとした。年末の「鄙温会(ひなおんかい)」の忘年会で、旅行計画を打ち明けて協力を求めたのだが、誰も参加しようとしない。
「まぁ〜、当ったり前か!」と思いつつ、
「それならば、北帰行・単独行むっむっむ!!」
と心に誓ったわけである。
1999年の北海道行については、4月ごろから、少しずつ計画を立てはじめた。
先ず最初に、考えたことは、北海道をツーリングする場合の目標を、多くの人たちが「稚内」としているのだが、中年であれば逆に「稚内」を出発地点に選んだらどうだろうかということだった。
北海道旅行記で自転車を利用していったホームページを参考に調べてみると、関東から出発し、フェリーで北海道に渡り、ひたすら北を目指す北向一直線型輪行荒修行型が実に多い。しかも、帰りも同様に自転車を駆使しつつ、今度は南向一直線型となって戻ってくるのである。
これは時間を十分に確保できる大学生向きの方法であって、中年チャリダーには無理な話である。休暇は最大でも2週間。これを如何に上手く使うかが先ず第一に、中年チャリダーに課せられた条件である。
6月に素案がまとまった。概要は以下の通り。
初日(8月上旬) | 羽田〜稚内・・・・飛行機・・宗谷岬で一泊
| 2日目〜11日目 | 自転車でジグザグに南下、道の駅等で野宿・・・・・
| 12日目 | 苫小牧or室蘭からフェリーで帰路
| 13日目 | 自宅到着
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今度は休暇の調整である。
最高の時期にあわせて北海道に行くには、どうしても8月8日から始まる週とその翌週を確保しなければならない。
一方、この時期はまさに夏休みのトップシーズンである。同僚、上司の夏休みの日程を確認しつつも「8月は北海道!!」を先ず印象付けることが大切であると考えた。
そのため、機会を捕らえては
「8月、北海道、行くっすよ!!」
を連呼し続け、職場全体が「あいつは、今年も8月に北海道行くんだ・・・」と思わせることにほぼ成功をしたのであった。これが7月の上旬の話。
プロローグ−その2
ところが、8月上旬は、どうしても日程が重なることから、この時期の北海道はついに断念。結局、9月12日からの2週間を夏休みとして確保したところ、今度は、突然の「重なってもかまわん」との、お許しがでて、再び8月上旬からの夏休みとなったわけである。
ところが、行きも帰りもぜ〜んぜん予約していない状況で、突然「行って良いよ!!」って言われたからって、すぐに行けるわけでもない。
早速、全日空のホームページをみたところ、8月8日の12時30分稚内行きに、若干の空席があることが確認でき、「ANAは急げ」ということで、すぐに全日空の予約係りに電話。自転車が運べることを確認したうえで、予約番号を確認し、早速旅行社へ。31450円を払い、航空券を受け取り、取り敢えずは「行き」の足は確保できた。
自転車はマウンテンバイクと決めていたので早速、近場のOutdoor専門店に行き、輪行以外でも使えそうな代物を購入。購入した日に乗ってみる。チョット、ペダルが重い。幅広なタイヤを履いているのでしょうがないのだが、行くまでにある程度練習をしないときつそうだ。これにリアにつけるバッグを購入、あわせて輪行バッグも・・・。やっぱり初めてやり始めると,きつい。
帰りのフェリーの予約がやっと取れた。8月19日の午前9時30分の苫小牧発だ。ただ,この日は実質的に動きが取れない日程なのだから、当然、前日までには苫小牧に着いていなければならない。実質的な日程は10日間と決まったわけだ。
走ろうと考えている距離を粗くで計算すると、大体700キロメートルとなる。これならば、1日の走行距離は70キロメートルだから、初心者であっても大丈夫ではないかと考える。ただし、ここでは、自分が中年であるということを全く考慮していない。
もうひとつ心配事がある。日程は未定だが、走行予定では上川から層雲峡をとおり、三国峠を越える予定なのだが、この日の標高差はもしかしたら1000メートルに達する。自分の足で、持つだろうかと考えた。しかし、これは、高校時代に陸上部で1500メートルの選手だったことから、多分、大丈夫だろうとかってに考えた(高校時代はすでに30ン年ものかなたに霞んで見えるくらいなのだが。)。三国峠は北海道でもっとも高い場所にある峠ということで有名なところなのである。まあ、上手く越えられたら、その後は幌加温泉の露天風呂が待っているのだが…。もちろん、その先にある然別湖も楽しみな場所のひとつである。
7月31日
今日は、土曜日なのでホームページの更新をしなければならない。待望のドワーフコットンの花が咲いたので、これを撮影しつつ、ハーブ∞花の写真集の更新のひとつとした。
HPの定期的な更新作業終了後、自宅から駅までを自転車で往復してみる。片道4.5キロメートル。往復で9キロメートルである。時間的に計ると40分で往復できる。かなりきつい坂もふたつあるのだが、楽に越えることができる。
やっぱり当初目標としていた1時間10キロメートルは、何とかなりそうだ。
と言うことは、1日7時間走れば良い訳で、午前7時出発とした場合、昼食時間に1時間たっぷり使ったとしても,午後3時には体を休めることができる。これはかなり楽な旅になりそうである。午前中4時間、午後3時間。こんな楽な旅で良いのだろうかとも思う、
しかし、いつも,旅行前の試算ではかなりの余裕があり楽観しているのだが,実際は……?
我が愛車の調子は今日の練習で実証できた。輪行バッグにも何とか持っていく荷物を含め収めることができた。そして、周りの機器は、火曜日(8月3日)に第1日目の宿泊場所となる宗谷の「阿部旅館」に送ることとなる。
今日の練習途中で、無味乾燥な我が愛車に名前をつけてみた。
Spirit of Middle‐Agers号である。
今後はこの名前で呼ぶこととした。
8月7日
いよいよ明日は出発である。
自転車はすでに輪行バッグに収めた。最小限必要なものはウエストバッグに入れ何度も忘れ物がないかどうか点検をした。あとは、自転車を持って羽田まで行くだけである。
自転車は「エンド金具」を付けてあるので、持ち運びに楽だしまた安全でもある。車輪も直接外部に出ている金具の部分にはダンボールを取りつけショックを吸収するようにした。車体と車輪は全部で4本の留め具を使い完全に固定してある。
輪行バッグの中には自転車のほかに雨具が入っている。これは、万が一、稚内に到着した時に雨が降っていると,そこから宗谷までの10数キロをずぶ濡れで行かなければならなくなる。宗谷岬のスタート地点に立つ前のプレ走行の時点で雨に濡れるのはいやなのだ。そのため万が一を考えて雨具だけは輪行バッグに忍ばせて持っていくことにしたためである。
全体で重量は17s。何とか我慢できる重さであるが、関東地方では連日摂氏30度を大きく超えている今年の夏の状況ではチョットきついのかもしれない。ただ、電車に乗ってしまえば,あるいは、モノレールに乗ってしまえば冷房も効いていることだし、また、肩から荷物を下ろすことができるのでそれまでの辛抱である。
ウエストバッグには、容量の関係もあって必要最小限のものを入れることとした。
先ず、航空券、モノレール乗車券及び乗船券である。これは、必要最小限というより、なければどうしようもないものである。
あとは、北海道の道路地図,メモを取る手帳と筆記用具、薬類(傷テープ、鎮痛剤、日焼け止めクリーム等を含む)、デジタルカメラ、自転車組立て用工具、タオル、パンク修理キッド、携帯電話そして文庫本2冊である。
午後6時半ころには、前夜祭などといいながら自分の畑で作ったニガウリを料理したゴーヤチャンプルと美味い刺身をつまみながらビールを飲みつつ、心はすでに北海道という状況でそのままいつしか深〜い眠りに Z Z Z ・・・・・・・・・
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