第2話 オーストラリアはストライキが多い!?

1992年の夏,前年にホームステイしていた家に再び訪れることができ 10日間ほどの日程でメルボルン近郊の彼らの別荘で遊んできた。

そんな楽しい10日間も過ぎ,いよいよ帰国する日となった。 帰国といっても,一度シドニーへより2泊3日過ごしてから QF51便で名古屋に帰るという予定である。

メルボルンからシドニーへ向かう日,仕事があるにも関わらず ホストファーザー(メルボルン大学の教授)が 空港まで送ってくれ,チェックインの段階まで付いていてくれた。

そのときの空港の雰囲気はふだんと変わらないように見えた。ふつうなら チェックインもすんなり済み,後は搭乗まで空港内をうろうろしようと 思っていたのだが,そうも行かないらしかった。

まず,チェックインカウンターで荷物を預けようとすると 受け取ってくれなかった。何で受け取ってくれないのか分からなくて まさか航空券の関係でダメなのかなど色々考えが巡った。

カウンター近くのベンチに腰を下ろし 空港内の搭乗開始などを示す電光掲示に目をやると, 朝7時には離陸しているはずの飛行機がまだ出発していない状況であった。 そのときの時間は確か午前10時頃だったと思う。

何が起こっているのか分からなく,ホストファーザーもチェックインカウンターで カンタス航空の人と何か 話をしているらしかった。何かあったのかなあと よくよく周りを見渡してみると 確かに大きな荷物を抱えた人がたくさん居るようにも思えた。

チェックインカウンターから戻ってきたホストファーザーが言うには ストライキらしい,それも飛行機に荷物を積み込む人のストライキで 飛行機が運航できないらしかった。

これはたいへんだなあと思いつつ,あまり深刻には考えなかった。 どんな状況でも楽観主義者らしい。

ホストファーザーは私のために,ストライキが 解除される見込みなどを色々聞いて回ってくれていたが。 当分終わりそうもないらしかった。

ここで,そのとき私の持っていた航空券の話になるのだが, カンタス航空と提携で旅行会社が立てた個人旅行のツアープランを 使っていたので,日本からオーストラリアへはもちろんのこと、 オーストラリア国内の移動も,ドメスティクパッセンジャー の形でカンタスの国際線の飛行機利用であった。

ホストファーザーは仕事があるので戻らなくてはならないのであるが, 私のために残ってくれていた。ホストファーザーが仕入れてくれた 情報ではどうやら,国内線の方は通常どおり運行しているという情報であった。 この時空港に来て1時間ぐらいはたっていたように思える。

私自身はシドニーまでの国内移動であったので国内線を利用する という手段がでてきた。問題は航空チケットである。

こういう非常事態であるためか,今手持ちのカンタスの航空券で アンセット航空の国内線に 乗れるようになるらしく,ホストファーザーには本当に 骨を折ってもらって,なんとかシドニー行きのチケットを手に入れた。 といっても、ほとんどの便が満席であったため,乗れる便の 出発時間は午後4時頃の便であった。ホストファーザーは シドニーに無事ついたら電話を入れるようにと言って仕事に戻っていった。

時間は正午頃だったと思う。

国内線のビルに移動して待つことにした,こちらのほうは 国際線の方とは違いずっと平穏な状態であった。

チケットもてに入れなんとか,シドニーに行けると思って安心したら 尿意をもよおしてきた。しかし、一人旅であり荷物番をしてもらえる 人もなく,大きなトランクを持ってトイレに行くのも考えものであった。 ここは、チェックインするまで我慢しようと思い日本から持ってきた 文庫本を読んで気を紛らわせつつ,がんばった。 3時間ぐらい待ってチェックインを済ましトイレに行ってみると すぐにはでないんですよこれが・・。

出発ロビーで搭乗までの間滑走路を見ていると朝出発予定であったはずの飛行機が 飛んでいくのが見えました。ストライキも解除されたようです。

国内線の方は時間どおりに運行され予定よりもかなり遅くシドニー着、 やっとホテルにチェックインできました。

延々6時間メルボルン空港で足止めを食らいトイレにも行けずにがんばった というお話でした。

教訓:オーストラリアの空港ではストライキに会うことが多い(by 某旅行会社の添乗員さん談)