オフミ初日編 「『俺、死んでたよ』」  【日没閉門】

 今回の関西遠征はかなりハードなことになるなという覚悟をしていた。  夏に関東勢の方々と一度府中で会ったときの盛り上がりが相当なものだったの で、あのノリで行ったらドエライ消耗戦になることは容易に予想できた。  なんとか毎日神棚に柏手を打ってココロを清め、1週間で50Hぐらいは睡眠 時間を確保して遠征に備えたいものだと思ったのだが、実際には1週間で布団で 10Hぐらいしか眠れず、あまつさえ家には神棚などありはしないので、手拍子 の一つも打てないのだった。
 そして予想通り、金曜日の夜から完徹でスタートするという、崖っぷち状態で 出陣することになった。
 徹夜してもなおかつ、9時後楽園WINSという集合時間すら間に合わない始 末で、早くも迷惑をかけてしまう。
 あそこで当方が9時ジャストに着いていれば、みんなあと15分は考えられた だろう。それだけの時間があれば、本来「穴場の魔術師」である久賀さんなどは 高級魔法を唱えおわってマジック連発だったと思うのだが(意味不明)、スター トから本当に悪いことをしてしまった。ごめんなさい > 各位
 なんか、その日はこっちが思っている以上にばてていたようで、切符を買う動 作なども当方が一番遅いわ、1回切符をしまうとどこに入れたか忘れてしまうわ、 買った競馬新聞は落としてしまうわ、とまぁボケボケだった。
 それでまた荷造りが下手で、一人馬鹿でかい荷物を持っているので、動きが遅 い。全く申し訳ないことである。

 京都が第二の故郷的町である戸谷さんの迅速な案内で、素早く淀に着くことが できた。  しかし当方は相変わらず隊列の一番後ろをヨタヨタと追走しながら、なんとか 4F席に辿り着く。タイムオーバー寸前である。  自由席としてはベストのポジション。東京や中山でもこんな席にはなかなか来 れないような場所で、席取りの苦労を考えると申し訳なく思う。  ここで高柳御大と石丸名幹事と初対面。

 御大:短髪なのが意外でした。
 幹事:赤い髪がさらに立っていたらどうしようと思ったのですが、全然自然な  髪型でホッとしました。
 お二人とも気を遣っていただいているのがよくわかったので、当方は中村さん と誤認されたことなども全く気になりませんでした。

   初日は馬券も全然だったが、後藤シンコウノビーという当方が考える関東の一 押しコンビがいいところを見せてくれたメインを少しだけ取れたので、気分的に はドローというところで明るく締めくくることができた。
#実際はここで既に片道分は軽く負けていて120−113ぐらいのイメージ。  そこで田崎さんと柴田さんという2人の女性から電話がかかってきた。  この方達は春先に当方の長尺予想に感想を送ってくださり、その後数回メール をやりとりしていたのだが、今回が初対面である。
 若い女性が2人でこんな親父達の巣窟に来てしまっていいものなのだろうかと 思ったが止めるのも変である。まぁいいか貴族の出の久賀卿もいるし、女性対応 用に有芝さんもソフトムードで待機しているし、あとは当方が色々と会話などを すればなんとかなるかな、てな具合で正直悩んでいたのですが、お会いすると、 大人の女性2人でそうした心配をするならば、むしろこちらの心配をしたほうが はるかに賢明な感じで、ホッとしました。

 初日の宴会前にホテルにチェックイン。
 もうこのままベッドに寝てしまいたいぜという衝動にかられたが、辛うじて立 ち上がり、会場へ向かう。
 まだ時間が早いせいか、京都の町は心なしか、東京の港区界隈や吉祥寺なんか とは客層も混み具合も違う印象で感じがよかったです。    1次会はまだ手探り状態。比較的品のいい話題で手堅くまとめた感じ。  今日はこれで十分、これで明日は仕上がるだろうという雰囲気でお開きになる ことをちょっと期待していたのだが、遅れてわざわざ職場から駆けつけて下さっ た加藤帝のことを考えたら、それはあまりにせんないぜ、ということで2次会へ。  ここでちょっとハミの形を替えてみると、全員生き返ったように伸びる伸びる!  これは地の果てまで伸びるんじゃないかという手応え。全員境勝太郎が憑依し たようなトランス状態に突入。ラシックスは京都では禁止されていたはずなのだ が。

 下駄箱をとるのに、1だ、7だ、16だ、22だという謎の乱数表が叫ばれた り、オーダーに秋天皇賞馬の近親みたいな架空のメニューがコールされたりと、 急に行きっぷりがよくなっている。連闘が功を奏したとしかいいようがない。  気がつけば、テーブルの上には「巨泉の重賞競争予想全書」が。御大用の酒の 肴の逸品であるが、あぁこういうのを出すと絶対喜ぶ人が約2名いるぞと思った 刹那、越後さんと中村さんの目がギラリと怪しく光っていた。
 その輝きを見た瞬間、当方はその日中にホテルに帰るのをあきらめて、ゴロン と畳にマグロ化して横たわったのだ。 「日没せんせ〜」という石丸さんの声を遠くに聞きながら。

 四条の駅に着き、ホテルの場所などを確認していたが、この日一日で脳細胞が 相当死んだようで、全然分からない。とりあえず住所をメモするかと、久賀さん から紙をもらうと、それは競輪用のマークシートの裏だった。
 そのことでSir.Kugaへの尊敬の念を深め、加藤帝、中村さん、戸谷さ んと3人でホテルへ向かった。

 ちなみにこの時点でマチカネフクキタルを我々はばっさりやってしまっていた。  昔従兄弟とゲーセンで遊んでいたときに、彼がゼビウスで途轍もない技術を発 揮し1時間ぐらい100円で1ゲームを継続させたことがあるのだが、そのとき 彼は最後の1機がやられてもレバーとボタンを動かし続けていた。その鬼気迫る 表情に「もう終わってるぞ」の一言さえもかけられなかったのだが、10秒ほど してそのトランス状態から抜けた彼が「俺、死んでたよ」とポツリと言ったのが やけにおかしくて、それ以来2人でこのセリフは大人になった今も使われている。  まさにそのときの我々は「俺、死んでたよ」状態であることなど、誰一人気付 かなかったのであるが。 ◆