新城・有教館跡 場所の地図
新城市役所の東側に、「有教館跡」の記念碑と説明板を見つけました。説明板には次のように記載されています。
新城陣屋には、旗本・菅沼氏が設立した藩校が置かれていた。開校時期は享保9(1780)年に領主の菅沼定前(さださき)によって「有教館」と名付けられていたことが知られている。
江戸時代後期から明治初期頃に作成された「新城家中家来屋敷割之図」によると、その場所は現在の本庁舎南東の位置に相当し稽古場が描かれている。
十歳から二十歳の家臣の子ども達に入校が許され、一般の人々は入れなかった。 ここは、主に漢学を教授する文学部と、弓・馬・剣などの武術を学ぶ武芸部で構成され、文武両道の学び舎であった。
有教館は明治2(1869)年に閉鎖となり、その後は旧家臣の皆川家が居住管理した。
現在、有教館の名は「新城有教館高等学校」に受け継がれている。
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≪令和5(2023)年11月16日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年11月17日(金):第4584号】