設楽原古戦場いろはかるたM

信玄祖師堂跡  場所の地図

 新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。東郷中こども園前50mのところにあります。牧野文斎氏は、明治元(1868)年生まれで、私立信玄病院初代院長として医業の傍ら、長篠・設楽原古戦場の史蹟保存の活動を進めてこられた地元の名士です。牧野氏により、設楽原の戦いにおける戦没者の位牌を祀っていましたが、昭和32(1957)年に廃止され、現在はその場所に 「古戦場いろはかるた」が建っています。また、近くの信玄病院跡地は、「牧野文斎記念公園」になっており、記念碑が建っています。

信玄祖師堂跡 慰霊牌
設楽原古戦場いろはかるた 牧野文斎記念公園 場所の地図
≪平成27(2015)年2月28日撮影≫

三子山(みこやま)  場所の地図

 新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。東郷東小学校から北へ1kmほどのところにあります。
 
 設楽原の戦いを必死と思い極めていたのでひるまずに奮戦した真田兄弟の墓です。真田幸隆(幸綱)の長男・真田信綱と、二男・真田昌輝兄弟は真田幸村の父真田昌幸の兄です。長篠設楽原の戦いでは、西の連吾川、東の五反田川に挟まれた丘陵地に馬場信春、土屋昌次らとともに右翼に構え、丸山砦の佐久間信盛との戦いで討死しました。一つの墓石に真田源太左衛門尉信綱、真田兵部丞昌輝の名が彫られた墓と、共に奮戦した禰津甚平是広、常田図書春清、鎌原筑前守之綱の墓も同じ場所にあります。(きらっと奥三河観光ナビより)

三子山全景 墓石全景 設楽原古戦場いろはかるた
禰津甚平是広(左)と常田図書春清の墓 鎌原筑前守之綱の墓 一つの墓石に真田兵部丞昌輝(左)と
真田源太左衛門尉信綱の名が彫られた墓
≪平成27(2015)年9月9日撮影≫

 長篠役設楽原決戦場  場所の地図

 東郷中学校の南西側すぐのところに、「長篠役設楽原決戦場」の石碑があります。昭和41(1966)年5月に、新城市郷土研究会によって建てられたものです。

長篠役設楽原決戦場の石碑 設楽原古戦場いろはかるた

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年9月5日(火):第4514号】