設楽原古戦場いろはかるたK

甲田(こうでん)  場所の地図

 新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。東郷東小学校から北へ200mのほどのところにあります。
 甲田はこの辺りの地名です。設楽原の戦いで武田軍の敗色が濃くなり、とうとう武田勝頼は退却を決意、武田家伝来の甲を脱ぎ、敵の追撃を食い止めながら信州方面に退去しました。誤って甲を田圃に落としたとも、捨てたとの説もあります。この辺りから、武田方将兵の武具、甲が見つかった事から 甲田の名がつけられたという説もあります。

遠景 設楽原古戦場いろはかるた
≪平成27(2015)年7月29日撮影≫

馬防柵  場所の地図

 馬防柵は、設楽原歴史資料館の北側に再現されています。
 天正3(1575)年の設楽原の戦いで、武田軍と織田・徳川連合軍の総勢5万人を超える兵士たちが戦いました。当時、無敵を誇っていた武田軍の騎馬隊に対抗するために、連合軍は「火縄銃」の鉄砲隊と「馬防柵」という戦術で応戦し、圧倒的な強さで短期間の内に武田軍を打ち破りました。

再現された馬防柵 馬防柵のいろはかるた
≪平成23(2011)年9月2日撮影≫

織田信長本陣極楽寺跡  場所の地図

 新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。場所は、「織田信長旗本地」のある平井神社のすぐ北東側で、そこから見上げる高台にあります。信長が長篠合戦の折、最初の本陣とした「極楽寺」跡です。この戦いによりお宮もお寺も焼失し、歴史を語る総てを失ったとのことです。

信長本陣跡地遠景 本陣跡地やや接近 設楽原古戦場いろはかるた
≪平成27(2015)年10月12日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年8月22日(火):第4500号】