新城市作手・古宮城跡 場所の地図
新城市作手地区にある古宮城跡は、国道301号線そいにあります。
古宮城趾については、新城市が発行したパンフレットに次のような説明がありました。
古宮城は徳川と武田の領地の境目にある城郭です。城跡は平成29(2017)年に続日本百名 城に認定され、その後、平成30(2018)年に市の史跡に指定されています。
古宮城は元亀3(1572)年以降に武田信玄が築城し、その縄張り設計は馬場美濃守信春によるものと推測されています。独立丘陵全体に配置された土塁や堀などの、戦国時代の遺構がほぼ
完全な形で今に残る非常に貴重な城跡です。ここでは武田方の徳川に対する拠点城郭としての性格のほか、これまで徳川方や武田方の特色とされてきた遺構が混在して認められることも大きな特徴です。
元亀3(1572)年、奥平氏が武田信玄から本領安堵、知行宛行の約束がされていることから、これ以降に古宮城が築城されたものと考えられています。その廃城時期については、天正3(1575)年に徳川の家臣が武田勝頼に内通して謀反を起こし、その際、勝頼は作手筋に出馬する予定を伝えていることから、おそらくこの頃も古宮城は存続していたものと推測されます。しかし、同年に起こった「長篠・設楽原の戦い」で武田勝頼が敗北したことで徳川による当地域の支配が強められることとなり、古宮城は次第に武田氏の拠点城郭としての性格は失われていったものと考えられています。
堀 | 両袖枡形 | 西地区主郭 |
土塁 | 枡形虎口 | 東地区主郭 |
≪令和5(2023)年6月6日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年6月14日(水):第4431号】