豊川・一色刑部の墓 場所の地図
今川義元墓所と同じ敷地内に、室町時代、足利一族の一色刑部部少輔時家の墓もありました。
愛知エースネットに一色刑部について次のように説明されていました。
一色氏は足利氏の一門で、山名・赤松・京極氏と並び室町幕府の侍所の長官に任命される四職(ししき)の家柄である。康暦基(1379)年、三河の守護となり、在地の国人勢力や地侍などを取り込んで領国を支配した。永享10(1438)年、鎌倉公方と将軍との抗争から永享の乱が起こるが,当時の三河の守護職一色氏が鎌倉公方側に加担したと思われ討伐された。このとき一族の一色刑部時家(いっしきぎょうぶときいえ)は鎌倉を逃れ、三河国中条郷長山に一色城を築いた。時家はここを拠点に下長山・牛久保など現在の豊川市一帯を支配した。しかし文明9(1477)年家臣に殺害されることになる。
≪令和5(2023)年5月18日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年6月4日(日):第4421号】