山家三方衆の苦悩:奥三河郷土館  場所の地図

 道の駅したらに併設されている奥三河郷土館において、表題の展覧会が、4月17日(月)から開催されているとのことで、行ってきました。
 山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)とは、戦国時代、東三河東北部(新城市、北設楽郡)の奥三河を居城とした弱小豪族たちで、作手・亀山城の奥平氏、田峯城の菅沼氏,長篠城の菅沼氏をいいます。当時、奥三河は駿河の今川氏、甲斐の武田氏が進出し,岡崎の松平(徳川)氏や尾張の織田氏を巻き込んだ複雑な情勢でありました。こうした情勢の中,彼らは自家の勢力拡大や存続をかけて、めまぐるしく主従関係を変えていきました。ある時は、親子・兄弟が敵味方に分かれて戦うという悲劇も生まれています。関ヶ原の戦い以後、田峯、長篠の菅沼氏は没落し、長篠の戦い当時、長篠城主であった奥平氏は、その時の功績によって転封を繰り返し、最終的に九州中津に移り、10万石の領主となりました。 (愛知エースネットより)
 この山家三方衆の歴史的経緯が、パネルで展示されていました。この地域の歴史に興味のある人にとっては、わかりやすいパネルになっていました。

≪令和5(2023)年5月13日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年5月14日(日):第4400号】