西尾市吉良:鎧ヶ淵古戦場  場所の地図

 西尾市吉良地区にある黄金堤【平成27年4月6日(月):第1450号】の一角に、家康に関する史跡、鎧ヶ淵古戦場があります。史跡の説明板に次の説明文がありました。
 中世、この地一帯は深い淵となっており、淵の西背撫山のすそに、岡崎街道が開かれていた。
 永禄3(1560)年、桶狭間合戦後、今川と縁を絶って独立し、織田と結んだ松平元康(後の徳川家康)は、祖父清康、父広忠以来の深い姻戚の吉良氏を攻めることになりました。
 永禄4(1561)年4月15日、この街道を中心に吉良方と松平方が激突します。山腹に塀をひそませた吉良方の策に陥り深追いした松平方は淵に追い落とされて大部分が戦死します。
 危く切り抜けた松平方主将深溝城主・松平好景も、これまでと自刃し、吉良方の大勝に終りました。
 この合戦によって、淵の底に沈んだ将兵鎧や武具がその後しばしば引き上げられたため、この淵を鎧ヶ淵と呼び、この戦いを鎧ヶ淵の合戦と称するようになりました。
 ちなみにこの合戦で松平好景配下の武士が甲冑を掛けた鎧掛けの松と、好景が腰かけた蛇枕石というのがありましたが、明治時代以降の新道工事で枯れかけていた鎧掛けの松は取り除かれました。このことを記した記念碑も近くにありました。

鎧ヶ淵古戦場  「鎧掛けの松」と「蛇枕石」の経緯を記した石碑
≪令和5(2023)年2月13日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年2月14日(火):第4313号】