福釜松平と箕輪・高棚の社寺めぐりC

10 町名遺跡釜ヶ渕  場所の地図

 昔この地で、突如黄金の釜が地中より吹き出したことで、「吹釜」から「福釜」という地名になったという言い伝えがあります。古い文献には、「福釜」の字の外に「吹釜」「福鎌」と書かれたものもあります。この地は現在の福釜町釜ヶ渕であり、釜ヶ渕を後世に伝えるために、西部公民館の西南方約200mの道田川沿いに石碑が建てられました。

≪令和5(2023)年1月20日撮影≫

11 福釜城址  場所の地図

 福釜城は、集落の南方(現在の福釜町蔵前)にあって、東西を川に挟まれた台地の南端に築かれた城です。この城は、松平氏第五代が安城城の支城として築きました。第五代の二男が永正12(1515)年、この支城を与えられ福釜松平が誕生しました。城といっても砦のようなものであったようです。城域は東西40間(約73m)、南北50間(約91m)、面積は1,855坪(約6000u)ほどの方形をしていましたが、現在城跡がどの範囲にあったかは不詳です。

≪令和5(2023)年1月20日撮影≫

12 高棚薬師堂  場所の地図

 このお堂には、高棚村長坂家の祖が、桜井村川島の薬師堂から迎えたと伝わる薬師如来坐像(室町時代、市指定)が祀られています。はじめ空臨寺に安置していましたが、文化年間(19世紀初)に現在地へ移されました。片腕を欠くことは、明治の初めにこの像が盗難にあったときの損傷と伝えています。

≪令和5(2023)年1月20日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年2月12日(日):第4311号】