福釜松平と箕輪・高棚の社寺めぐり@

01 箕輪城址  場所の地図

 箕輪城は、現在の光明寺境内を中心とした区域に位置し、天文元(1532)年頃に浅井氏により築城したとされています。浅井氏は近江八幡の出身で、幡豆郡浅井村に移り、浅井氏を称しました。明治初年まで本堂裏に堀の一部が残っていたそうです。訪れた時は、光明寺が改築中でした。

≪令和5(2023)年1月7日撮影≫

02 光明寺  場所の地図

 この寺は 、元禄2(1689)年に現在の豊田市駒場町より現在地の北方に移転してきました。真宗大谷派の寺で、享保19(1734)年、「西方山光明寺」という寺号が本山より許され、延享元(1744)年、本堂が現在地に建立されました。その後改築を経て現在に至っています。寺域は箕輪城の跡です。

≪令和5(2023)年1月7日撮影≫

03 道標  場所の地図

 光明寺山門の左側にあります。それには「左にしを のてら道(野寺道)右 ふくかま(福釜)」と記され、伊勢詣りで親しくなった友人が別れを惜しんだ所といわれています。またこの道標は、江戸時代末期に本證寺の信徒によって建てられたもので、もとは三ノ輪町の旧西尾街道沿いにありました。

≪令和5(2023)年1月7日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年1月31日(火):第4299号】