安祥城趾と古戦場めぐりF
15 中川覚右衛門関係
安城村の庄屋中川覚右衛門は、安永8(1779)年に不作に苦しむ村民のため、領主に年貢の減免を願い出ますが許されず、郷倉の中で血書を残し自決しました。その後、年貢は減免され、いつしか覚右衛門は安永の義民と称されるようになりました。その関連の石碑等が安祥城趾の近く3箇所にあります。
15−1 墓碑 場所の地図
明法寺には墓碑があります。
≪令和4(2022)年2月141日撮影≫ |
15−2 頌徳碑 場所の地図
大乗寺山門前の参道右側には頌徳碑があります。
≪令和4(2022)年1月30日撮影≫ |
15−3 自刃の地 場所の地図
大乗寺北の門前には、自刃の地の石碑があります。このあたりが郷倉のあったところといわれています。
≪令和4(2022)年1月30日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和4年8月6日(土):第4129号】