新美南吉は昭和13(1938)年4月から安城高等女学校の教師として赴任し、亡くなるまでの約5年間、ここに勤務しました。安城高等女学校は、その後安城高等学校となり、赤松町へ移転し、その場所は、安城市立桜町小学校になりました。
その桜町小学校の中庭には、南吉生誕80年を記念して作庭された「南吉のうた」庭園が整備されており、その中に「ででむし詩碑」と「安城高等女学校址碑」、そして『ごんぎつね』の一場面が再現されています。
「ででむし詩碑」は、新美南吉の没後5年後、安城高等女学校の同僚や教え子たちにより、安城高等女学校の中庭に昭和23(1948)年に建碑された南吉顕彰碑全国第一号碑です。安城高等女学校が安城高等学校となり、赤松町へ移設された際、このででむし詩碑も移築されましたが、平成25(2013)年の新美南吉生誕百年を機に桜町に戻りました。碑には、南吉が編纂した生徒詩集「雪とひばり」に書かれた「生(ア)れいでて 舞ふ蝸牛(デデムシ)の 触角(ツノ)のごと
しづくの音に 驚かむ 風の光に ほめくべし 花も匂はば 酔ひしれむ」が刻まれています。(
安城市のHP参照)