安城・新美南吉モニュメント①  場所の地図

 JR安城駅の南側が美しく整備され、新美南吉のモニュメントが設置されています。安城市の魅力を引き出すべく、調和のとれた市街地になっています。
 南吉は、当初半田から安城高等女学校まで電車通勤をして来ていたことが、次のように記述されていました。

 昭和13(1938)年4月、新美南吉は愛知県安城校当女学校(現在は安城市立桜町小学校が立地)の教員として安城に赴任しました。南吉は、昭和14年から安城で下宿を始めるまでは、半田から学校まで電車と徒歩で通っていました。1時間弱で安城駅に到着できますが、安城高等女学校の始業時間(7時50分)には間に合わなかったようです。
 当時の安城は「日本のデンマーク」と呼ばれる農業先進地域でした。南吉が通勤した安城高等女学校は、安城の街並みの西はずれにあり、安城駅から学校までの歩いて10分ほどの途中、南吉は「日本のデンマーク」を象徴するような安城町農会館などの建物を左右に見ながら通ったのです。

 下宿については、次のように記述されていました。

 昭和14(1939)年1月に、教員は学校の付近に居住するよう学校から指示が出たため、南吉は安城での下宿先を探し始めます。最終的には現在の安城市新田町の大見家の離れに下宿が決まりました。南吉は昭和17年12月までこの下宿先で過ごし、教師として生徒を指導する傍ら、たくさんの作品の創作に励みました。この下宿先は、南吉生誕百年の際に当時の姿に修復され、日記に出てくる井戸などとともに、現在も残っています。
 

≪令和3(2021)年6月21日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和3年7月1日(木):第3728号】