岡崎・東公園散策③-志賀重昂氏の墓と銅像-  場所の地図 銅像場所の地図

 東公園散策の3回目は、岡崎市出身の世界的地理学者志賀重昂氏(1863~1927)の墓と銅像です。墓と銅像は300mほど離れた所にあります。

 志賀重昂氏の墓の前には、次の説明文があります。
 この墓は、岡崎市出身の世界的地理学者志賀重昂氏(1863~1927)のもので、昭和5年この地に建てられました。形式は、純インド様式の「スツーバ」(墳墓)という珍しいものです。
 志賀重昂氏は、昭和2年4月6日に息を引き取られましたが、遺骨は分骨され、一半は生前に氏が選定された青梅街道沿いの北澤村へ埋葬され、他の一半がこの墓が出来るのを待って埋葬されました。

 また、志賀重昂氏の銅像の前には、次の説明文があります。
 この銅像は、岡崎市出身の世界的地理学者志賀重昂氏(1863~1927)の業績を顕彰しようと、昭和50年3月に建立されました。
 志賀重昂氏は、洋の東西を旅行し、その見聞を著書にし(著書は「志賀重昂全集(全8巻)に大半が収められている。)、今日の貿易 文化交流の先駆的な役割をされました。岡崎市民にとっては「三河男児の歌」によって三河人の士気を大いに鼓舞していることが最も親しみ深いであろう。なお、氏は木曽川の「日本ライン」の名付け親でもあります。昭和36年岡崎市名誉市民。


≪令和3(2021)年4月19日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和3年5月21日(金):第3687号】