岡崎・桜城橋②  場所の地図

 桜城橋(さくらのしろばし)の北側に、2体の石像ができました。徳川四天王のうちの二人の石像です。今日は、その内の一人、本多平八郎忠勝の石像です。説明看板に次の記述があります。
家康に過ぎたるもの 本多忠勝
 徳川家康より6歳年下、同じ徳川四天王の榊原康政とは同い年。生涯57回もの合戦で一度も負傷しなかったと伝えられている。
 1572年、一言坂付近(現在の静岡県磐田市)で、家康は隣国の武田信玄の大軍に出会い、当時の本拠地・浜松城に引き返した。この時25歳の忠勝は殿を努めて追撃してくる武田軍を食い止め、一兵も損じることはなかった。その戦いぶりは、武田方から、「家康の家臣にしておいてはもったいない」と賞賛されたと伝えられる。
 この姿は、その時の勇姿を再現したもの。

≪令和2(2020)年4月1日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和2年4月15日(水):第3286号】