会津若松市・飯盛山 場所の地図

 飯盛山は、会津若松市街の東2キロにあり、城下町を一望に見渡す小高い山です。
 慶応4(1868)年から明治2(1869)年の戊辰戦争で、会津藩は、15〜17歳のエリート少年で『白虎隊』を編成しました。彼らは明治元(1868)年8月23日、戸の口原での戦いで決定的打撃を受けて潰走し、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びました。だが、ここから眺めた戦闘にによる市中火炎の模様、黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、自分達の至らなさで会津をこんな火の海にしてしまったと いち早く会津の負けを悟り、自ら命を絶ちました。その自刃した地には記念碑が建っており、近くには彼ら十九士の墓も建っています。
 飯盛山へは、階段もありますが、有料の歩く歩道も整備されていました。歩道を降りてすぐに白虎隊の墓があります、そしてそこから南へ200mほどの所が、自刃の地でした。そこからは、会津若松市内が一望できました。

飯盛山入口 白虎隊の墓 墓のアップ
白虎隊自刃の地 飯盛山からの市内眺望

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和元年10月22日(火):第3110号】