島田卓二、黒田清輝とその周辺:豊川市桜ヶ丘ミュージアム  場所の地図

 豊川市桜ヶ丘ミュージアムにおいて、表記の企画展が、8月16日(金)から9月22日(日)まで開催されているため、近くを所用で訪れた際に鑑賞してきました。郷土の偉大な画家をの作品を中心に、すばらしい風景画を堪能してきました。
 ミュージアムのHPに、企画展の説明が次のようにありました。
 島田卓二(1886-1946)は、宝飯郡大木村(現:豊川市)に生まれた洋画家です。県立第四中学校(現:時習館高校)を卒業後、画家を目指して上京します。黒田清輝の門を叩き、書生となって白馬会の葵橋洋画研究所に学びました。第6回文展に入選するほか、第13回白馬会展や初期の光風会展に出品し、国民美術協会の設立にも参加しています。大正13年の関東大震災で自宅が崩壊し、愛知県豊橋市へ帰郷しました。
 その後は豊橋や名古屋松坂屋での個展など郷土での活動が中心となり、豊橋洋画協会の設立に中心的立場で関わる一方、郷里の高校等で教鞭をとり、後進の育成にも尽力しました。
 作風は新派(紫派)と呼ばれた黒田譲りの明るい外光派の色彩を踏襲しながら、屋外での制作を重んじ、渥美半島や湯谷渓谷、西浦などに出向いては景勝地等をよく描いています。後年はタッチもおおらかになり独自の画風を確立しつつ、絵を描き続けました。
 また、絵で生計を立てる努力を惜しまず、駅に沿線の景勝地の風景画を飾るなどして、当地の画壇に大きな影響を与えましたが、晩年は中央画壇とも距離を置いたため、これまで本格的な評価や回顧がなされてきませんでした。
 本展では、彼が遺した日記を読み解きながら、黒田清輝や交流のあった画家らの作品を比較展示することで、その影響力を検証します。また、明治期からの近代日本洋画壇の一端を、中央と地方の関係性にも着目しながら紹介いたします。 

ギャラリー全景とギャラリー前のポスター
≪令和元(2019)年9月4日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和元年9月10日(火):第3068号】