鎌倉扇ガ谷の三社・葛原岡神社&銭洗弁財天&佐助稲荷神社

 北鎌倉浄智寺の東側から源氏山ハイキングコースをトラッキング、扇ガ谷の三社を経て、鎌倉駅に到着、初春の鎌倉を散策することができました。

 葛原岡神社  場所の地図

 葛原岡神社は、後醍醐天皇の側近・日野俊基(ひのとしもと)を祀る神社です。日野俊基は荒廃した鎌倉幕府を倒すため、後醍醐天皇を中心としたクーデターを計画しますが、事前に計画が漏れ、ここ葛原岡で切られることになりました。現在では由比ガ浜地区の鎮守(ちんじゅ)として人々の信仰を集めています。境内には、縁結び石や「魔が去る=勝」ということで幸せを勝ち取る石があり、多くの参拝者を迎えているとのことです。

参道 拝殿 日野俊基終焉の地の碑
縁結び石 魔去ル石 朱印

 銭洗弁財天(宇賀福神社)  場所の地図

 銭洗弁財天として親しまれている宇賀福神社は、お金を洗うと何倍にも増えて戻ってくるといわれる霊水「銭洗水」が湧く神社です。銭洗水は、境内の洞窟(奥宮)で湧き、ご利益にあずかろうと多くの参拝客が訪れます。
 平安末期、鎌倉は災害が続き貧困にあえぐ庶民のために,源頼朝が世の救済を祈願したところです。巳の年の文治元(1185)年の巳の月、巳の日の巳の刻、宇賀福神から「この地に湧き出す水で神仏を供養せよ、そうすれば天下泰平の世が訪れる」と源頼朝の夢にお告げがあり、そこで源頼朝はこの地に社を建てて宇賀福神を祀りました。その後、世の中の混乱は収まったと伝えられています。この話が発展していつの頃からか、その霊水でお金を洗うと倍になると言う信仰が生まれ、鎌倉五名水の一つになっています。洞窟の口もとに社があり、社は宇賀福神、洞窟の中の社は銭洗弁財天です。

神社入口 長く続く鳥居 宇賀福神が祀られる本宮
銭洗弁財天 銭を洗う人たち 朱印

 佐助稲荷神社  場所の地図

 源頼朝が伊豆の蛭が小島にいる時、夢枕で、平家討伐の挙兵をするのは、今だ、勝利は間違いないであろう、というお告げがありました。そして頼朝は冶永4(1180)年8月に挙兵し、平家討伐を果たします。頼朝は幕府を開いて、初期の目的を達成したお礼として、建久年間(1190)に、ここを霊地と定めて稲荷の社殿を造営させました。頼朝は若い時、兵衛佐であったので佐殿と言われていました。その佐殿を助けた神と言うことで佐助稲荷と言われ、境内には、沢山の朱塗りの鳥居が並んでいます。

神社入口 参道 境内にあふれる小さな稲荷像
沢山の朱塗りの鳥居 拝殿 朱印
≪平成31(2019)年3月29日奉拝≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成31年4月22日(月):第2927号】