世界遺産:韮山反射炉  場所の地図

 反射炉とは、金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉です。韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存するものです。幕末期の代官江川坦庵が手がけ、後を継いだその子英敏が完成させました。
 嘉永6(1853)年のペリー来航により、日本は外国の脅威にさらされました。江戸湾海防の実務責任者となった江川坦庵に対して、幕府は江戸内湾への台場築造と並行して、反射炉の建造を命じます。ペリー来航以前から反射炉の研究を続けていた坦庵でしたが、蘭書の記述のみを頼りに反射炉を建造するのは、非常に困難な事業でした。反射炉は、連双式(溶解炉を二つ備える)のものを2基、直角に配置した形となっていました。四つの溶解炉を同時に稼動させ、大型砲を鋳造するための工夫です。
 しかし安政2(1855)年正月、江川坦庵は韮山反射炉の竣工を見ることなく病死してしまいます。跡を継いだ息子の英敏は、蘭学の導入に積極的で、反射炉の建造も行っていた佐賀藩士の助力を得て、安政4(1857)年、韮山反射炉は着工から3年半の歳月をかけて、ようやく完成しました。韮山反射炉では、元治元(1864)年に幕府直営反射炉としての役割を終えるまでに、鉄製18ポンドカノン砲や青銅製野戦砲などの西洋式大砲が鋳造されました。
 入場料を払うと、まずガイダンスセンターへ入場します。ここで、韮山反射炉について詳しい説明があり、知識を仕入れます。その後、反射炉へと、案内人が流暢に解説してくれ、韮山反射炉や江川担庵のことがよくわかりました。

ガイダンスセンター 反射炉全景 風入口と灰穴
出湯口 鋳造された大砲のレプリカ もう一度全景
≪平成30(2018)年9月6日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成30年10月17日(水):第2740号】