平針街道と御茶屋  場所の地図

 徳川家康に関する遺跡は、各地に見られますが、豊田市でまた一つ家康に関するものを見つけました。
 豊田市堤町に、次の説明看板がありました。
 平針街道は、徳川家康の勅命で、岡崎−名古屋間のバイパスとして開かれました。この平針街道は、「岡崎街道」ともいわれ、岡崎・名古屋間を直線短絡で結び、戦術的にも重要視されました。
 また、大阪夏の陣には、東軍の軍兵が通過したり、多くの用心や旅人が、東海道の裏街道として利用していたといいます。この街道のお陰で、堤村も急速に開拓が進み、村づくりの基盤ともなりました。
 この近くに「御茶屋」という地名が残されていますが、これは永禄3(1560)年の桶狭間の戦い後、徳川家康が大高城より堤村に立ち寄り、御茶を召し上げられたことから、後に「御茶屋」と呼ばれるようになったといいます。

近郊案内図 堤説教場
御茶屋御殿跡 御茶屋御殿アップ
≪平成30(2018)年7月23日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成30年7月29日(日):第2660号】