新城・富岡地区の追分地蔵  場所の地図

 五葉湖【第2501号】へ向かう途中に追分地蔵をみつけました。地蔵様の前に次の説明板がありました。

 『新田組で迫分地蔵のお祭りをするようになったのは、昭和3年頃、五軒の家で次々と不幸が重なったことに起因します。
 ある時、神田組の武藤氏の夢枕にお地蔵様がお立ちになり、自らが不遇な扱いをされ、道端に埋もれていると告げました。不幸が続くのはこれが原因かもしれないと思い、早速お告げに従い街道の道端を調べてみたら、お告げの通り無造作に倒され、土に埋もれて放置された石のお地蔵様がありました。掘り出して水洗いしてみると「明和2(1765)年」と刻まれていました。
 五軒で話し合い「不幸が続くのはお地蔵様を祀ってこなかったからではないか」ということになり、お祀りすることにしまlした。武藤氏と親交のあった大原観音寺の住職に供養をお願いし、別所街道の追分近くにお祀りすることになりました。
 最初は五軒で始まったお祭りも、東組の申し出もあり、新田組の祭礼行事として毎年1月に甘酒を振舞うようになりました。 平成23年』 

 お地蔵様は、赤い帽子とよどかけをかけ、地域の人たちに大切にされていることを感じます。

≪平成30(2018)年2月12日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成30年2月28日(水):第2509号】