東京都文京区・湯島聖堂  場所の地図

 JR御茶ノ水駅から北へ100mほど、聖橋を渡り、しばらく歩くと右手に「湯島聖堂」があります。都会のど真ん中にある聖地、心が洗われる感がします。ここは元禄3(1690)年に江戸幕府の五代将軍徳川綱吉が、上野にあった孔子廟を湯島の地に移したもので、移転後は「大成殿」と名を改め、施設の総称を「聖堂」と呼ぶようになったとのことです。
 湯島聖堂は、寛政9(1797)年に幕府の儒学を教える学校「昌平坂学問所」となりました。その後、大正11(1922)年に国の史跡に指定されましたが、翌年に起きた関東大震災で建物を焼失、その後、昭和10(1935)年に鉄筋コンクリートで再建され、現在に至っています。ここは日本の学校教育発祥の地ともいわれるところで、西門である入徳門を入ると、左側に杏壇門(きょうだんもん)、その向こうに大成殿が位置しています。南門である仰高門から入ると、聖堂を管理している事務局が入る斯文会館があり、その西側に孔子像が建っています。曲阜にある孔子の墓所にも植えられてるものと同じルーツである「楷(かい)の木」の名木が、孔子像の前にあります。楷の木は、枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれており、孔子と楷とは離すことができないものとなっています。孔子の高弟であった四賢人は、大成殿に祀られていますが、大成殿内は土日祝日のみの公開だったため、見ることはできませんでした。
 
入徳門 杏壇門 大成殿
仰高門 孔子像 孔子像の前にそびえる名木「楷の木」
≪平成29(2017)年12月6日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成30年1月5日(金):第2455号】