新城市作手・武士塚&姫塚
新城市作手地区・国道301号線に二つの塚があります。それぞれの塚の前に次のような説明看板があります。
武士塚 場所の地図
亀山城二代城主奥平貞久の墳墓、貞久は応永2(1395)年作手で生まれ、監物と称し、後に出羽守道頓と改めた。
貞久は作手36ヶ所のほかに近隣の額田、宝飯の一部を領有し、嫡男貞昌以下6子に領地を分け与え、家臣団を作り、おおいに権力を誇った名君である。 昭和62年9月10日 作手村文化財専門員会
姫塚 場所の地図
亀山城二代城主奥平貞久の夫人の墳墓、夫人についての詳細は不明であるが、嫡男貞昌以下6男の母として奥平氏後半の基礎を築いた名夫人である。村人はその徳を偲び、塚を設け姫塚と称し、今日に伝えている。 昭和62年9月10日 作手村文化財専門員会
≪平成29(2017)年11月15日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成29年11月25日(土):第2414号】