倶利伽羅界隈

 倶利伽羅は富山県と石川県の県境にあり、倶利伽羅峠の戦いは、1183年、源平が戦い、木曽義仲が平家の大軍を倶利伽羅峠に誘い込み、牛の角に火のついた松明をくくりつけ敵陣に放ち、平家軍を倶利伽羅谷に追い落としました。この戦いで源平の勢力は逆転、義仲は入洛を果たし、平家一門は都落ちすることになりました。
 この倶利伽羅の地には、真言宗の名刹である不動寺があり、また不動寺は別院である鳳凰殿を持っています。不動寺の近くには、倶利伽羅合戦の地があり、そこには源平の供養塔や火牛の像が建っています。
 また不動寺鳳凰殿の入口には、道の駅「源平の郷」があります。

不動寺  場所の地図
 高野山真言宗の別格本山で、山号は高野山、本尊は倶利伽羅不動明王で、日本三不動の一尊といわれています。倶利伽羅不動寺の本尊は、養老2(718)年に奉安されたのが始まりだと伝えられています。境内は眺望に優れ、八重桜・ツツジ・紅葉など四季折々の自然を楽しむことができます。

参道 本堂 御朱印

倶利伽羅合戦の地  場所の地図
 源氏軍の率いる木曽義仲が信濃国から北陸へ進軍する中、平家軍は反乱勢力と見なし大軍を派遣しました。そして戦場となったのがこの倶利伽羅峠です。4万の義仲軍 対 7万の平家軍。この戦力差を埋めるため、義仲は500頭の牛の角にたいまつをつけて夜間に突撃させる「火牛の計」という作戦で平家にいどみました。平家軍は火牛から逃げ惑い、義仲軍に退路を絶たれ、谷へ転落。義仲軍は平家軍に勝利し、北陸道を通り京都へ進軍することになりました。
 この戦いのヒーローである「火牛の像」と、源平供養塔が、この地に建てられていました。

「倶利伽羅合戦の地」の案内 火牛の像 源平供養塔 

不動寺鳳凰殿  場所の地図
 平成10(1998)年に、伽藍の復興事業のひとつとして、鳳凰殿が復興されました。樹齢千年を超えるヒノキを用いた左右75mもある壮大な木造建築は、平安時代の寝殿造りの様式を取り入れ、荘厳優雅な雰囲気を漂わせています。中央の三仏堂では、不動明王を中心に薬師如来と千手観音が祀られています。右側の不動堂には、波切不動尊が奉安され、左側の阿弥陀堂は、阿弥陀如来をはじめ、観音菩薩などが祀られています。
 この鳳凰殿は、宇治の平等院をモデルに造られたとのことです。

鳳凰殿全景 朱印
阿弥陀堂 三仏堂 不動堂

道の駅 倶利伽羅源平の郷  場所の地図
 「道の駅 倶利伽羅 源平の郷」は、石川県のほぼ中央に位置する津幡町にあり、倶利伽羅峠の戦いの舞台になった地でもあります。この道の駅の奥には、倶利伽藍不動寺の鳳凰殿があります。
 この駅は、各種施設を持っています。津幡の歴史を知ることができる倶利伽羅源平の郷(歴史資料館)や、集う人が交流の輪を広げることができる倶利伽羅塾(宿泊体験・研修施設)、また大きな芝生広場があります。また、入浴施設である源平の湯は、別府温泉(湯の華)の湯質感を再現した自然派の人工温泉です。もちろん、土産物売り場も充実していますし、食事処である「源平茶屋」では、地元食材中心とした各種メニューを展開しています。昼食時に入店したため、茶屋は人であふれていました。たまたま1席空いていたので、そこでサービスランチ(中華丼とうどん)¥950を美味しくいただきました。

歴史資料館 資料館の展示 芝生広場
倶利伽羅塾 食事処「源平茶屋」 サービスランチ(中華丼とうどん)¥950
土産物売り場  道の駅 記念切符・表  道の駅 記念切符・裏 
≪平成29(2017)年9月20日奉拝≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成29年10月6日(金):第2364号】