名古屋市天白区・「天道・塩釜と坂道コース」約6.5km

 名古屋市天白区の史跡・文化財を巡る散策路(名古屋市史跡散策路参照)の1コースです。天白区を散策するのは初めてです。
 このコースの概要は次のように説明がありました。
 八事の交差点から、閑静な「旧道」を行くと、飯田街道に出合う。左手に折れてからしばらくいくと千手観音を残す「浄久寺」。道の左右の石材店を見ながら八事へ。「五社宮」、「高照寺」への参道は、かつて、祭りの日には大賑わいであったという。「佛地院」から桜や藤の花が咲く頃は特に美しい、安産と子どもの守護神として知られる「塩竈神社」・「御幸山公園」まで、八事の丘陵を一回りするコ−スです。
 コース図を参照に巡り、ポイントの説明文は、コース詳細を参考にしました。当日は、曇り空でしたが、やはり7月、たっぷり汗をかきました。

八事旧道  場所の地図
 八事交差点から東へ向かう国道153号線の1本南の道路が、いわゆる八事旧道といわれ、起伏のある街道の両側は桜が多く、かつては、人通りの途絶えることがない程の賑わいであったといわれています。

浄久寺  場所の地図
 曹洞宗。宗源山と号し、永禄11(1568)年の創建。はじめ清洲城下、外町にありましたが、清洲越しで慶長15(1610)年、名古屋の南寺町(門前町)に建立されました。その後、大正12(1923)年現在地に移りますが、昭和20(1945)年5月の大空襲によって、山門などごく一部を除き本堂や庫裏などが焼失しました。

山門 本堂

五社宮  場所の地図
 日・月・星・神明・天王の五社を祀るため五社宮と称します。創建不詳。寛保元(1741)年丹羽郡稲木荘寄木村の天道宮を八事山に遷座。神仏混淆して寺院となった天道宮を八事山へ遷座に際して旧来の神祗として祀った社が五社宮です。明治維新の神仏分離令により高照寺と分離しました。

参道 拝殿

高照寺  場所の地図
 臨済宗妙心寺派の寺院。元は、延喜式神名帳に記載のある丹羽郡稲木荘寄木村の稲木神社(稲置天神)で、享保9(1724)年天道山高照寺と改め、寛保元(1741)年愛智郡八事邑の現在地に遷座されました。本堂は天道宮ともいわれ、本尊である天道大日如来が祀られています。往時の寺域は広大で、五社宮はもちろん、八事の八勝館あたりまで境内であったといわれています。

山門 本堂

佛地院  場所の地図
 前身は明徳4(1393)年に開創された末寺十数ヶ寺をもつ真言宗の一本山です。数度の火災のため荒廃しましたが、寛永元(1624)年に復興改宗され、陶金山佛地院と命名されました。大正7(1918)年現在地に移転し、音聞山佛地院と称するようになりました。本尊は釈迦牟尼仏です。
 現在、大相撲名古屋場所が開催されており、二所の関部屋の宿舎になっていました。そのため、境内には土俵が造られていました。

山門 本堂 土俵 

大学院  場所の地図
 真言宗で創建不詳、前身は鎌倉期に開創された真言密教の古刹です。大学院は文字どおり徹頭徹尾学問修業の寺であり、祈願の寺です。京都の醍醐寺末で、中世の頃八事に塔頭末寺数々寺をもつ大聖寺という古刹があり、現在の元八事の地に修行僧の教育にあたる寺子屋があったが、これが草創期の大学院の姿です。寛永18(1641)年この地に草堂を結び、本尊青面金剛(庚申さま)を奉安し、真言密教を広めました。

山門 本堂 朱印

八事神社  場所の地図
 祭神は応神天皇を始め四柱が祀られています。明治43(1910)年に八幡社(現境内地)、下八事の一之御前社、八幡山の高峯神社を合祀し、名称を八事神社と改めました。

参道 拝殿

塩竃神社  場所の地図
 【平成27年5月15日(金):第1489号】を参照。

御幸山公園  場所の地図
 公園内に二つの石碑があります。明治23(1890)年に陸軍大演習が行われたとき、明治天皇がここで諸軍を統監、さらに大正2(1913)年に陸軍特別大演習のとき、大正天皇がこの地を御野立所として再び統監されました。これを記念して、大正4(1915)年村民によって建てられたのがこの碑です。

公園入口 御統監碑 御野立所碑

御幸山  場所の地図
 東本願寺名古屋別院の境内・東北隅のあたりは、天保年間に建築された別院新御殿の北庭でした。池あり、築山ありの起伏に富んだ回遊式の名園として知られていましたが、第二次世界大戦の戦火をうけて荒廃しました。その後、ようやく往時の面影をしのべるまでに修復し、公園として公開されました。

  ≪平成29(2017)年7月5日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成29年7月11日(火):第2277号】