輪島・天領黒島  場所の地図

 輪島市黒島地区は、『北前船の栄華薫る町−天領黒島−』をキャッチフレーズに、重要伝統的建造物群保存地区として、平成21(2009)年に国選定されています。
 パンフレットに次の解説があります。

 黒島地区の概要
 黒島地区は能登半島の西側北寄りに位置し、能登で通称「外浦」とよばれる海岸に面しています。日本海に大きく突き出た形の能登半島は、対馬海流の影響を受けやすく、変化に富んだ海岸線が作られています。
 集落は、海岸沿いの丘陵地に形成されており、海から一段高い箇所で海岸線に沿って家が立ち並んでいます。
 江戸時代初め、加賀藩領であった黒島村は、能登の諸村60ヶ村とともに天領に組み込まれました。また、19世紀前半に全盛となる北前船交易を背景に村の経済力は増し、周囲に対する影響力も大きくなりました。北前船主の大きな屋敷は、黒島に住む人々のステイタスシンボルであり、大きな目標でありました。中でも角海(かどみ)家は、黒島で最も遅くまで北前船主を務めた家で、名実ともに黒島を代表する廻船問屋でした。
 こうして拡大してきた黒島の町並みは、南北に走る街道とその街道に平行する小路に面して形成されています。過去何度も大火に見舞われ、集落のほとんどを焼き尽くしたこともありましたが、その都度、豊富な経済基盤をもとに着実に復興を遂げ、その町並みが現在まで維持・継承されてきました。
 黒島では通りに面して座敷を配し、座敷の外側に開口部を設けず前面を壁とする家が多く、また土蔵は、潮風から土壁を保護するために下見板張りで覆われた「サヤ蔵」と呼ばれる工法で建てられています。そのため街路に面した下見板張りの面積が広く、格子と交互に現れる景観が独特の雰囲気を醸し出しています。

 重要文化財−角海家住宅
 角海家住宅は、現存する黒島地区の代表的な廻船問屋住宅です。現在の屋敷構えは、明治4(1871)年の大火後に順次整えられ、地元の名匠によって、配置や構造は元通りに再建されたと伝えられています。平成19(2007)年の能登半島地震によって大きな被害を受けた後、土地建物ともに輪島市へと寄贈され、同23(2011)年7月に復元工事を終えました。
 見学に小一時間、係の人の説明に感嘆、廻船問屋住宅の規模と豪華さに感嘆、歴史の勉強をしました。

角海家住宅全景 仏間 居間
庭園 客間 望楼の間
宝物 土蔵 台所
≪平成29(2017)年6月7日撮影≫ 

                  釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成29年6月9日(金):第2245号】