修善寺温泉散策
本山研修旅行において、修善寺温泉新井旅館で昼食後、小一時間の修善寺散策の時間です。主な散策コースをぐるりと一周してきました。
独鈷(とっこ)の湯 場所の地図
諸国を行脚中の弘法大師が、桂川で病父を洗う少年を見て心うたれ、独鈷杵(仏具)で川の岩を打ち霊湯を湧出させ、父子に温泉療法を伝授したという、修善寺温泉発祥の湯です。現在は観光施設として管理されており、入浴できません。
河原湯 場所の地図
修善寺温泉のシンボル「独鈷の湯」前のポケットパークが整備され、その一角に足湯が設置されました。この足湯付近には、その昔「河原湯」があり、共同浴場として地域住民や観光客に親しまれていました。このことから、この足湯を「河原湯」と命名されたとのことです。
竹林の小径 場所の地図
温泉街の中心部を流れる桂川に沿う遊歩道。独鈷の湯から続く小径を歩いていくと、茶処や昔懐かしい火の見櫓が散策する人々の目を楽しませ、竹林の中央では大きな竹製の円形ベンチで風を感じることが出来ます。又、時期によりライトアップが行なわれ、温泉街の夜の散策を堪能できます。
源範頼の墓 場所の地図
鎌倉幕府将軍であった源頼朝の弟である範頼の墓です。蒲冠者と呼ばれた範頼は、優しく率直な性格であったがゆえに頼朝の誤解を招き、この地に幽閉され悲しい最期を遂げました。
修禅寺 場所の地図
修善寺温泉の中心は、なんといっても古刹「修禅寺」です。山号を福地山といい、曹洞宗の寺院で、本尊は大日如来です。温泉名と寺院名の漢字が異なることをこの地に来て初めて知りました。
大同2(807)年、弘法大師に依って開創され、その後約470年間は真言宗として栄えました。鎌倉時代になり、臨済宗に改宗、臨済時代は二百数十年間続きました。やがて室町時代(1489年)に曹洞宗に改宗されました。文久3(1863)年に再び伽藍や宝物の多くを焼失、明治になってから本堂などが再建されました。その後専門僧堂として多くの禅僧を輩出してきています。
宝物館では、期間限定公開の毘沙門天立像が展示されていました。
参道と山門 | 本堂 |
毘沙門天立像 | 朱印 |
日枝神社 場所の地図
修禅寺の東隣にある静かな佇まいの神社です。入り口の鳥居をくぐるとマキ、ケヤキ、スギの見事な老大樹が一本ずつ並び、あまり広くない参道をおおっています。ケヤキの巨木の根元には信功院跡の表示と石の庚申塔がひっそりと、源範頼の悲劇の跡をしのばせます。
20段ほどの石段を登るとお社の建つ広場。左側にはスギの巨木が数本あり、その中に同じ根元から2本、寄り添って立っているものがあります。地元では「子宝の杉」と呼んでシメ縄を巻いて大切にしています。
参道 | 拝殿 | 子宝の杉 |
≪平成29(2017)年3月30日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成29年4月3日(月):第2178号】