白隠禅師の開山 禅宗道場「龍澤寺」〜大本山方広寺 春の檀参研修旅行 場所の地図

 今年の大本山方広寺企画の研修旅行は、3月30日(木)に、白隠禅師が開山された静岡県伊豆市にある禅宗道場「龍澤寺」と、その周辺にある見どころの見学です。今年も、釣月寺の壇信徒様4名とともに、参加しました。

 平成29(2017)年は、臨済宗中興の祖・白隠禅師の250年遠忌にあたります。そのため、今年の研修旅行として白隠禅師ゆかりの地である「龍澤寺」が選ばれました。
 「駿河には、過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」、これは臨済宗中興の祖といわれた江戸中期の禅僧・白隠禅師を称えた俗謡です。白隠禅師は貞享2(1685)年に駿河国原宿(現在の沼津市原)に生まれました。幼い頃、地獄の絵解きを聞いて、地獄が怖くなり、それが動機となって出家したと言われています。積極的に提唱を行うだけではなく、一般の人々にも分かりやす易い言葉を使って禅の普及に努めました。また「隻手の音声」など、独自の公案(いわゆる禅問答)を創案しました。77歳の時に小さな荒れ寺を買い取り、三島・龍澤寺を現在の地に開創。全国から多くの雲水が参集し、純粋たる禅修行の専門道場として現在に至っております。
 一方、「白隠の再来」と称えられた山本玄峰老師は、白隠禅師没後百年近く経った慶応2(1866)年、和歌山県で生まれます。生後すぐに捨てられてしまい、通りかかった人に拾われたと伝えられています。19歳の時、失明の不幸に見舞われ、これを契機に一念発起して、四国八十八箇所の霊場を巡拝中に仏道に入ります。玄峰老師は各地の寺で修行を重ね、龍澤寺を始めとする全国各地の寺を復興し、やがて「白隠の再来」と称されるほどの高僧となり、96歳で三島市にてこの世を去りました。
 玄峰老師が当時荒れていた龍澤寺の復興を決意する際、師の老師は「石塔がひっくり返ろうが、木像が腐ろうが、そんなことに滞る白隠様ではない。」と言い、龍澤寺行きを反対しました。すると「そんなことに滞る白隠様じゃないから行くのです。」と並々ならぬ決意を表した玄峰老師を見て龍澤寺行きを許したといいます。その後、玄峰老師は龍澤寺を見事に復興し、これらの寺では今も白隠禅師の法灯を守り続けています。(三島市のHPより)
 通常は一般参拝できませんが、今回は大本山方広寺の特別なはからいで参拝および老師の法話を聞くことができました。

山門 方丈 伽藍
老師法話と話を聞く参加者 開山堂に鎮座する白隠禅師をはじめとする頂相 僧堂
僧堂の内部 鐘楼 立派な石垣
≪平成29(2017)年3月30日奉拝≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成29年3月31日(金):第2175号】