新城・森の石松生家跡  場所の地図

 新城市八名地区には、任侠で有名な「森の石松」の生家があります。静岡県での活躍が有名ですが、実は出身は愛知県新城市です。次のように八名郷土史会の説明文が、史跡前にあります。

 森の石松の生い立ち
 石松の先祖山本家は、元信州諏訪の藩士であったが、後に主家を浪人。堀切(新城市富岡)で百姓となり庄屋を務めていた家柄で、石松はそこで次男として生まれた(明治14:1881年頃)。
 石松の父は、屋敷内に祀ってあった諏訪神社の分神を、請われて伊勢の人に譲って以来、不運続きで、石松が三歳の時、火災で家が焼け、母と飼っていた馬まで焼け死んでいる。
 石松の父は、仕方なく土地を人に預け、石松を連れて遠州森町在の山へ、炭焼きの出稼ぎに出た。
 石松が七歳の頃、森の天宮神社祭礼に出掛け、迷い子となり、泣いていたところを遠州森の在の任侠の家で世話になることになった。
 石松が14歳のとき、たまたま森の在へ立ち寄った清水次郎長の目にとまり、見込まれて引き取られ、清水一家の人となる。
 次郎長の片腕として、一家の誰よりも強く、義理と人情に厚い石松。幼い頃に家が焼け母を失い貧乏暮らしが故に渡世の道を辿る運命。誠に気の毒な人生としか言い様がない。    平成20(2008)年8月吉日

森の石松生家跡
≪平成29(2017)年3月26日撮影≫

                  釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成29年3月30日(木):第2174号】