静岡県:掛川城  場所の地図

 貴族的な外観をもつ天守閣の美しさは、「東海の名城」といわれています。しかし嘉永7(1854)年安政の東海大地震により天守閣など大半が損壊し、再建されることなく明治維新を迎え、明治2(1869)年廃城となりました。その後、掛川市民の熱意と努力が身を結び、天守閣は平成6(1994)年に140年ぶりに木造で再建され、再び美しい姿をあらわしました。
 掛川城御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された施設で、書院造と呼ばれる建築様式でできています。現存する御殿は、嘉永7年の大地震で倒壊したため、時の城主によって、安政2(1855)年から文久元(1861)年にかけて再建されました。安政2年から明治2(1869)年までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附されました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されました。
 二の丸美術館は、地域の芸術文化活動の拠点施設として、細密工芸・近代日本画・郷土で活躍した人々の作品などをの企画展を通して公開しています。訪れたときは、地元出身書家の展覧会を行っていました。
 3っつの施設は共通入場券で割安に入場できました。

再建された美しい掛川城 城内の展示 天守閣からの掛川市内
御殿玄関 御殿上の間 二の丸美術館
≪平成28(2016)年9月21日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成28年9月27日(火):第1990号】