岐阜県恵那市:岩村城趾  場所の地図

 岩村城は、奈良県の高取城、岡山県の松山城と並ぶ日本三大山城の一つで、『日本100名城』に選定されています。城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」ともよばれています。
 この城が名城と言われる由縁は、単にその規模と大きさだけでなく、その永い歴史に由来します。文治元(1185)年に創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間に亙り城と城主が連綿と続き、明治に至り廃城令で廃城されるまで、連綿と存続しました。700年間に及ぶ城の歴史は、日本の城史にも例を見ないものです。
 近くをとおりがかったおりに、岩村城趾という案内表示があり、訪れました。国道257号線から狭い道路を登ること5分、城趾に到着します。そこには兵糧蔵が建っていますが、建物はそれだけです。本丸、二の丸、出丸、八幡曲輪、帯曲輪など石垣が残り、その石垣を眺めるだけでも勝ちがあります。石垣を見ながら約5分ほど登ると城趾に到着します。山城で眺望がよいことがわかります。

兵糧蔵 石垣に囲まれた埋門(うずめもん)跡 山頂の本丸跡
慰霊碑と説明板 昇龍の井戸 城趾から兵糧蔵をのぞむ
≪平成28(2016)年8月27日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成28年9月17日(土):第1980号】