光悦寺  場所の地図

 江戸初期の文化人・本阿弥光悦が、元和元(1615)年に徳川家康から鷹峯三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰)が見れるこの地を与えられた事が始まりといわれています。光悦は、与えられたこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てました。光悦は、桃山・江戸時代の芸術家で、刀剣の鑑定のほか芸術指導者として活躍しました。晩年は創作、雅遊の日々を送り寛永14(1636)年に八十歳で同地で没しています。光悦の死後、日蓮宗の寺院になりました。山号は大虚山で、本尊は十界曼荼羅です。境内には、大虚庵など7つの茶室(大虚庵、三巴亭、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵)があり、庫裏に接して妙秀庵があります。これらはいずれも大正時代以降の建物である。竹を斜めに組んだ垣根は光悦垣と呼ばれています。

山門 参道 本堂
三巴亭 大虚庵と光悦垣 光悦垣
大虚庵 了寂軒 本阿弥庵
光悦の墓を 鷹峯三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰) 朱印
≪平成28(2016)年4月23日奉拝≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成28年5月11日(水):第1851号】