今月の掛軸(額) №44-松老雲閒
扁額の紹介5回目です。今月は、庫裡の2階手前の室に掲げてある扁額です。
この扁額も臨済宗大本山方広寺第3代管長で、101歳の長命を全うした足利紫山(1859~1959)老師のもので、落款にあるように老師97歳の時のものです。
「松老雲閒」は、「松老雲閒曠然自適」=「松老い、雲は閒(しずか)にして曠然として自適す」という禅語の前半部分です。「閒」は「閑」と書く場合もあります。
意味は、「老松は泰然自若、悠然としていつまでもそのみどりを保ち続けている。そしてまた流れる雲は静かにして時の経過、世のわずらわしさも忘れたるごとく超越して生きる悠々自適の心境を表す語である。ここにはもはや、煩悩妄想の湧く要素もなく、また悟りを感じさせる臭みを払拭ししきった妙境涯があるだけである。」 「曠然」とは広々としたさまで、大自然のおおらかな中にたたずみて気宇広き心境をいい、「自適」とは自らの心のおもむくまま、のんびりゆったりとした心境である。何にも縛られることもない自然の中で暮らす老僧の日々の営みを表している言葉です。(福岡県宗像市にある承福寺のHP参照)
毎回、禅語の本当の意味を理解することをむずかしく感じます。でも、本当の意味を理解するとその禅語をすばらしく感じます。
扁額全体 | 落款拡大 |
≪平成26(2014)年9月29日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年11月6日(日):第1299号】