松平伊忠(これただ)戦死の地 場所の地図
新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。
松平伊忠(1537〜1575)は、天正3(1575)年の長篠の戦いにおいて、武田信玄の弟信実(のぶざね)を討ち取るも、深追いしすぎて武田軍の猛反撃を受けて39歳で戦死しました。織田・徳川連合軍の中でただ一人の城主級の戦死者です。
新城市有海地区、長篠城址からそんなに遠くない、国道257号線を少し入った所にひっそりと戦死の地の石標が建っています。
≪平成26(2014)年8月6日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年8月20日(水):第1221号】