金沢・武家屋敷跡 加賀藩千二百石 野村家  場所の地図

 藩政時代に加賀藩の上・中級武士が暮らしていたところが、長町周辺にある武家屋敷跡です。細い路地や土塀、長屋門は往時の姿をとどめています。その一角にある野村家は、長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡で、格式を重んじた当時の様子が見学できます。

 野村家の入口に次の説明がありました。

 天正11(1583)年藩祖前田利家が金沢城に入城した際、直臣として従った野村伝兵衛信貞家は禄高千石・千二百石と累進し十代にわたって御馬廻組組頭各奉行職を歴任、千有余坪の屋敷を拝して連綿と明治の廃藩まで続いた由緒深い家柄である。
 武家制度の解体はついにこの地に庭園土塀を残して菜園としていたが、その窮乏は次第に土地を分譲したり、更に文明開化の町づくりの妨げとなって、大正に入るや住宅街として現在に至ったのである。
 しかし、未だに一部反せ時代の面影をとどめている。いくたびか住人を変えたが、昭和の初期藩政時代蝦夷遠くはロシアに通商し藩政を支えた「北前船」の豪商久保氏が藩主を招くために造った豪邸上段伺候の間を移築したものである。今更のように時代の推移盛衰を身近にかんじられてならないし、加賀文化を汁貴重な文化遺産である。

 屋敷内は、どの部屋も見事な造りで感嘆させられました。また庭園もミシュランで二つ星を獲得し、日本庭園で第三位の栄冠を与えられたという素晴らしいものでした。

藩政時代当時を偲ばせる長屋門 野村家の門 野村家玄関
上段の間 仏間 奥の間
狩野派の絵師によって描かれた襖絵 ミシュラン二つ星を獲得した庭園
≪平成26(2014)年7月9日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年7月13日(日):第1183号】