岐阜・関ヶ原  

 岐阜県関ヶ原町は、天下分け目の戦、「関ヶ原合戦」の地で、町全体を「古戦場のまち」として売っています。ご存じのとおり、戦国時代の総決算ともいえる「関ヶ原合戦」は、慶長5(1600)年9月15日に、日本全土の名武将達が命をかけ、徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍が激突しました。当初は西軍がやや有利に戦いを進めていましたが、西軍にいた小早川秀秋が反旗をひるがえすと形成が逆転し、東軍が勝利する結果となり、徳川家康の覇権を決定づけることとなりました。
 事前に、関ヶ原町の観光HPの「おすすめコース」に従い、そのコースにある史跡をめぐりました。
 まず、「関ヶ原町歴史民俗資料館」で、「関ヶ原合戦」の勉強をし、「徳川家康・最後陣跡」、「田中吉政・陣跡」、「笹尾山・石田三成・陣跡」、「決戦地」とめぐりました。歴史のロマンを感じる地ではありますが、約400年前の激戦地も、今では美しい山野や公園になっており、平和を改めて実感した関ヶ原の地でした。

 関ヶ原町歴史民俗資料館  場所の地図

 合戦に関する武具や「関ヶ原合戦図屏風」などを展示。合戦の流れがわかる大型ジオラマは必見。隣接するミュージアムショップでは、武将グッズや土産物を販売。レンタサイクルも受付中。
 徳川家康・最後陣跡  場所の地図

 徳川家康が最後に陣を置いた場所。ここから松尾山の小早川秀秋に向けて発砲を命じたと言われている。合戦後には床几場で引見が行われ、武士たちが討ち取った敵の首級が実検された。
 田中吉政・陣跡  場所の地図

 ここから笹尾山の石田隊に向かって兵を進め、笹尾山麓から討って出る先手の兵と激突。最後、敗走した石田三成を捕らえたのも、吉政である。
 笹尾山・石田三成・陣跡  場所の地図

 関ヶ原を一望できる笹尾山に本陣を置いた石田三成。5分ほどで登れる展望台からは、三成が見たであろう景色を望むことができる。麓には竹矢来・馬防柵が復元されている。

 写真上段左−三成陣跡
       右−展望台から見た景色
    下段左−展望台から見た桜並木
       右−竹矢来・馬防柵
 決戦地  場所の地図

 小早川の寝返りににより東軍優勢となり、西軍の敗北が見えた関ヶ原合戦。三成の首を狙う東軍諸隊が笹尾山を目がけて突進したことにより、ここで激戦が繰り広げられたと言われている。
 
≪平成26(2014)年4月9日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年4月13日(日):第1092号】