野間大坊(のまだいぼう)  場所の地図

 総代会旅行における最後の目的地は、野間大坊の参拝です。
 寺院の歴史等について、HPに次のようにあります。
 正式には鶴林山大御堂寺(かくりんざんおおみどうじ)という真言宗豊山派の寺院です。歴史は、600年代後半に『阿弥陀寺』として建立されました。 その後衰えた『阿弥陀寺』を700年代前半に、行基菩薩が中興します。 のちに、弘法大師が全国をまわった折、ここで一千座の護摩を焚き、庶民の幸福を祈ったといわれています。承歴年間(1077〜1081)に白河天皇の勅願寺として、『大御堂寺』と称されました。
 源義朝の終焉の地ということでも有名です。平安時代末期、京都の平治の乱で、平清盛に敗れた「源義朝」がこの『大御堂寺』のある野間へ家臣を頼ってやってきました。 その家臣の裏切りにあい、義朝公はこの地で殺されます。 義朝公のお墓や、義朝公の御首を洗ったとされる「血の池」等、そのゆかりが境内に多数あります。 後に源頼朝公が、亡くなった源義朝公の菩提を弔うために、建久元(1190)年に開運延命地蔵尊(お地蔵様)と不動明王・毘沙門天をおさめました。そして七堂伽藍を造営します。
 広い境内を三々五々参拝及び散策しました。広い境内で歴史のロマンを満喫し、思い出を後に、野間大坊をあとにしました。

大坊本殿 大御堂寺本堂
源義朝公の墓 源頼朝公建立大門
≪平成25(2013)年10月22日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成25年10月26日(土):第923号】