岡崎・法蔵寺【岡崎観光きらり百選 bQ6】  場所の地図

 岡崎市東部の本宿地区にある古刹「法蔵寺」を参拝しました。浄土宗西山深草派の三河三檀林のひとつで、山号を二村山といいます。
 境内にある「岡崎観光きらり百選」の案内板には、次の説明文がありました。

 大宝元(701)年、僧行基の開山と伝えられ、松平初代親氏が深く帰依して、嘉慶元(1387)年に堂宇を建立し、寺号を法蔵寺としたと言われています。家康が幼いころ、手習いや漢籍を学んだとされ、数々の遺品が現存しています。桶狭間の合戦以後、家康は法蔵寺に守護不入の特権を与えるなど優遇しました。また、境内には新撰組で有名な、近藤勇の首塚も祀られています。

 近藤勇の首塚が法蔵寺にある由来は、次のように説明がありました。

 新撰組隊長「近藤勇」は、慶応4・明治元(1868)年4月25日35歳で東京都板橋の刑場の露と消えました。
 刑後、近親者が、埋められた勇の死体を人夫に頼んで夜中ひそかに掘り出してもらい、東京都三鷹の竜源寺に埋葬しました。
 また、勇の首は、処刑後、塩漬にして、京都に送られ三条大橋の西にさらされました。それを同志が三晩目に持出し、勇が生前敬慕していた新京極裏寺町の称空義天大和尚に埋葬を依頼することにしました。
 しかし、和尚は、その半年前から、三河国法蔵寺の39代貫首として転任されていたので法蔵寺に運ぶことにしました。この寺は山の中にあり、大木が生い茂っていて、ひそかに埋葬するのに好適の地でした。
 しかし当時は世間をはばかって、石碑を土でおおい、無縁仏の様にして葬られていました。そしていつか石碑の存在も忘れられてしまいました。昭和33(1958)年総本山の記録等に基づいて調査した結果、埋葬の由来が明らかになりました。今回、石碑をおおっていた土砂を取り除き、勇の胸像をたてて供養することにいたしたのであります。   法蔵寺執事     

法蔵寺の山門 法蔵寺の本堂
近藤勇の胸像と首塚 天然記念物 法蔵寺のイヌマキ
≪平成25(2013)年2月3日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成25年2月5日(火):第660号】