国府宮(尾張大國霊神社)  場所の地図

 はだか祭で有名な国府宮に行ってきました。正式名称は、尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)といいます。名鉄「国府宮」駅の東口から数分の所にあります。
 今年のはだか祭は、2月4日(土)に行われました。祭が終わってまだ間がないため、その名残があちこちに残っていました。
 ご祭神や由緒についてHPに次のようにのっていました。
 ご祭神は、「尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)」といい、この尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)であり、尾張人の祖先がこの地に移住開拓し、その日その日を生きていく糧を生み出す根源である国土の偉大なる霊力を神として敬い、尾張大國霊神としてお祀りしたのであります。
 由緒としては、『尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰されております。当社は奈良時代、国衙(こくが)に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社でありました。このことから通称「国府宮」として広く知られております。』とあります。

 はだか祭の起源については、稲沢市のHPに次のようにのっていました。
 尾張大國霊神社(国府宮)で行われる「はだか祭」は、正しくは「儺追神事」(なおいしんじ)といいます。
 今から約1,240年前、奈良時代の神護景雲元(767)年、全国の国分寺に悪疫退散を祈れと勅命を発したとき、尾張国司が尾張総社である尾張大國霊神社で厄払いをしたのが、儺追神事となって現在まで伝えられています。
 目立つ節分行事が近在になかったせいもあり、春を呼ぶ形で定着したこの神事に、裸の寒参り風習がドッキングして現在の祭りになったのは江戸末期のことです。裸の激突という形態は、昔、いやがる人を神官が取り押さえ、捕まえてきて儺負人(なおいにん・神男)に仕立てた、そのもみ合いを受け継ぐものとされています。

国府宮全景
はだか祭ののぼり 「儺追神事」(なおいしんじ)を示す木柱
≪平成24(2012)年2月7日撮影≫

 釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成24年2月8日(水):第297号】