豊川稲荷  場所の地図

 初詣で大にぎわいする豊川稲荷に行ってきました。平日ですが、まだ1月なのか寒い中でも大勢の参拝客が見えました。境内前で、名物のいなり寿司や宝珠饅頭を売る商店街も活気があふれていました。豊川稲荷は、正式名を「宗教法人 豊川閣妙厳寺(みょうごんじ)」と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。詳しくはHPを参照して下さい。
 境内の中には、多くの建物や石仏等がありましたが、特徴的なものだけを紹介します。左側の紹介文は、境内にあったものからです。


 総 門

 この総門は当時の創立から214年後の明暦2(1656)年に一度改築された。
 現在の門は明治17(1884)年4月18日当時29世黙堂禅師(もくどうぜんじ)によって上棟改築されたものである。
 門扉及び両袖の扉は、一千有余年の樹齢を重ねた高さ4.5m、巾1.8m、厚さ15cmの欅(けやき)の一枚板で、欅独特の如麟(うろこ)のような木目は類い希な木材として専門家に知られている。
 屋根は銅板鱗葺(うろこぶ)きで又諸処に使用されている唐金手彫(からかねてほり)の金具は優れた技法を示している。
 参拝者は、頭上に祀られている十六羅漢に見守られながら、この門をくぐるのである。
 豊川いなり大本殿
 寒巌義尹(かんがんぎいん)禅師が、ご感得、ご自作の端巌妙相をそなえられる(とよかわだきにしんてん)、通称「豊川いなり」のご本体が祀られており、全国幾千万のご信者の信仰の中心でありご祈祷の根本道場である。
 御真言は「オンシラバッタニリウンソワカ」と申し、ご参詣の人々は、このご真言を唱えて拝礼し、ご加護を受けられたい。
 当時29、30、31世の三代にわたる大本殿新築の大願は明治、大正、昭和の三世代に跨って信者の信心を凝集して、昭和5(1930)年春竣工し落慶大開帳が行われた。
 建物は総欅造、妻入二重屋根三方向拝の型をとり、間口10間7分5厘(19.35m)高さ102尺(30.6m)奥行21間4分3厘(38.59m)丸柱直径8寸(24cm)のもの、直径3尺(90cm)のもの計72本が使われ、内部は内陣般若殿、施主殿に区画され、内陣は本尊「」が奉祀してあり、その厨子は、諏訪ノ和四郎の作で屋根の瓦に至るまで朱漆塗りで精巧に彫刻を配し、希に見る巧緻精麗な出来栄えは、拝観者の賛嘆するところである。
 更に両脇祭壇には伏見宮家より贈られた毘沙門天、有栖川宮家から贈られた聖観世音菩薩、その他貴重な諸仏、諸菩薩の像及び諸仏具等が安置されている。
 明治時代に至り有栖川宮家より「豊川閣」の大額が下賜され、大本殿内に掲揚されている。
 当寺を「豊川閣」と呼ぶのは、この因縁によるものである。
 おさすり大黒天 造立の由来

 経文に「仏の慈悲に限りなく信者の願いを聞き入れるけれども、よこしまな我欲をもって祈願することなかれ」とある。仏心を撫でさすることによって広大無辺の仏のご利益を頂くことができるものである。

 ご真言
 「オンマカキャラヤソワカ」
 このご真言を唱えながら撫でさすって福徳をいただく。
霊狐塚−もとは納めの狐像を祀る場所でしたが、現在では御信者の献納された像が安置されています。
≪平成24(2012)年1月30日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成24年1月31日(火):第289号】