田峯(だみね)観音 場所の地図
釣月寺から北へ約10km、車で約15分で、奉納歌舞伎や田楽で有名な田峯観音につきます。田峰観音は、正式名を谷高山(やたかさん)高勝寺という曹洞宗の寺院です。出かけたのが、正月のため、初詣客であふれており、甘酒の接待も用意されていました。
奉納歌舞伎については、次の説明看板がありました。
文明4(1472)年、荒廃する真言宗日向寺を、田峰城主、菅沼定信(三郎左右衛門・貞吉・信濃守)が再興、曹洞宗に改め日向寺を菅沼の菩提寺とした。正保3(1646)年9月14日、この寺は災上し、またたく間に焼失してしまった。村民大いに落胆すれども容易に再興ならず、8年を費やしてようやく承応3(1654)年4月に再建した。この再建資財を調達したのが段戸山のとうずい(地名)であることから幕府の直轄林盗伐の疑いがかけられた。このことに関連して地元には次のような田峯観音霊験伝説が今に残る。
これによると盗伐の疑いにより、代官が実地検分に来ることになった。途方にくれた村人は、もはや田峯観音のお力にすがるより他無しとし「もし災難を救ってくれたなら、たとい村が三軒になるまで歌舞伎を奉納致します。」と三日三晩観音堂にこもり村中祈願した。その満願の日、代官は手代を連れて検分にやって来た。6月土用の暑い日だったが、いざ山に入ろうとするや一天俄にかき曇り雪がこんこんと降りだした。一行は「カヤノタワ」という所まで登ったら、積雪尺を越すほどになり、これ以上進むことは困難である。「この場で検分致すぞ」と眺めたが、あたりは、積る雪で真白である。その為に罪をかせられた切株の跡は、発見することができず、代官は「この件については、証拠不十分の為無かったものとする。」と言い残し、赤坂の代官所へ帰った。村人は、観音様のおかげと、その年歌舞伎を奉納して、以来現在に至るもなを、歌舞伎は続けられている。 設楽町
≪平成24(2012)年1月3日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成24年1月4日(水):第262号】