釣月寺の歴史
応永元(1394)年、奥山大本山方広寺開山円明(えんみょう)大師無文元選(むもんげんせん)禅師【第96代・後醍醐天皇の皇子】の弟子である在徳健頴(ざいてけんえい)和尚の開山であり、室町幕府の奉行三善朝臣(みよしあそん)、法名釣月寺殿一叟別伝大居士の開基です。大本山方広寺開山とわずか二十年ほどの開きしかありません。参道の石仏の数からみて、「本山方広寺の縮小的面影を残していたのではなかろうか」と推測されます。
なお、寺伝によれば、応永(1394〜1428)以前四代まで真言宗であったと伝えられ、文殊寺又は釣月庵と号し、寛永(1624〜1644)のころ、釣月院といい、延享(1744〜1784)以来釣月寺と号しました。開山在徳健頴以来、現住職まで23代を数えます。
元禄年中の記録によると、末寺が室貝津の西光庵、身平橋の海源庵、寺平の神宮寺、大輪の光輪寺、川売の松源庵、山中の徳林庵の六ヵ寺あったといいます。うち海源庵一ヵ寺が海源寺(同町四谷字浜井場303)と改称し、釣月寺住職の兼務となり現存しています。なお、小林には、末寺桂源庵があったということですが、記録は残っていません。
本堂は元禄元(1688)年、第9世竺隠(じくいん)和尚の代、海老陣屋菅沼定賞の用材寄進により再建したもので、町内寺院の建造物(本堂)としては最も古いとされており、昔そのままの原形を維持しています。とくに内陣の彫刻は、他にあまり類を見ません。山門は本堂再建以前のものようですが、記録されたものがなく、年不詳です。開山堂(位牌堂)は、嘉永7(1854)年2月、第18世桂道宣芳和尚の代に新築したものです。大黒天(137センチ)をまつる大黒殿は、大正11(1921)年に建立されました。庫裡は先々代である第21世泰信和尚の代、昭和31(1956)年4月に落成しました。
三生院の由来(方広寺三生派本庵)
釣月寺開山在徳健頴大和尚に関する参考資料
方広寺開山無文元選禅師は建徳2(1371)年に方広寺を開創されました。
住すること20年、常に五百人の僧が集まり天下の叢林として栄えました。
その嗣法の弟子に悦翁建ァ(えつおうけんぎん)【東隠開基・方広2世】・空谷建幢(くうこくけんどう)【臥雲開基・方広3世】・在徳建頴(ざいてけんえい)【三生開基・方広4世】・仲翁建澄(ちゅうおうけんちょう)【蔵龍開基・方広5世】の4人の直弟子がおられ、これを無文四哲と称し、方広寺を支える四本柱として由緒地に位する重要な本庵であります。
三生院開山・在徳禅師は、諱を建頴、号を在徳と称し、族姓は、佐々木氏、大和国のお生まれで、無文元選禅師に嗣法され、「文即下四哲随一」と称されました。
無文禅師が元中7(1390)年3月22日、68歳で示寂された後は、この四哲が相継いで方広寺に住山されました。
在徳禅師は、応永元(1394)年方広寺第4世として住山されました。住すること数年ならずして退山、応永元年方広寺東南の一獄に小庵をお建てになり、これを三生院と称しました。
住すること10年、応永11(1404)年後に、三州、双瀬・釣月寺が無住であったので、檀越の請に応じて釣月寺に入寺されました。
住すること5年、応永16(1409)年11月18日、釣月寺室中に於いて示寂されました。
釣月の檀越は、師の徳を仰いで開山始祖とされました。
その他、師の行実・伝記は多く見られず、略伝は無文禅師法語行状等に見られます。
在徳禅師の嗣法の弟子は、暘谷玄輝(ようこくげんき)【方広18世】、建芳知幢が居ます。
爾来、児孫縄々として法燈を相続し現在に至り、末寺37ヶ寺を有する三生派の本庵であります。
(参考文献・林 岱雲著 方広寺五祖伝による)
【平成23(2011)年10月29日】アップ
世 | 住職名 | 逝去年月日 | 西暦 | 享年 | 備考 |
開山 | 在徳健頴(ざいてけんえい)大和尚 | 応永16年11月18日 | 1409 | ? | − |
2世 | 大渕祖淵(だいえんそえん)大和尚 | 永享10年 5月 2日 | 1438 | ? | − |
3世 | 健芳智幢(けんぽうちどう)大和尚 | 文明 4年 3月15日 | 1472 | ? | − |
4世 | 惟誡示徳(いかいじとく)大和尚 | 永正 3年 1月18日 | 1506 | ? | − |
5世 | 嫩桂祖昌(どんけいそしょう)大和尚 | 天文 3年 6月22日 | 1534 | ? | − |
6世 | 撃竹智閑(げきちくちかん)大和尚 | 元亀 2年 7月18日 | 1571 | ? | − |
7世 | 材岳祖賢(ざいがくそけん)大和尚 | 慶長16年12月15日 | 1611 | ? | − |
8世 | 泰応智安(たいおうちあん)大和尚 | 年月不詳 2日 | ? | ? | − |
9世 | 竺隠玄厚(じくいんげんこう)大和尚 | 元禄 6年 8月14日 | 1693 | ? | 中興−本堂再建 |
10世 | 瑞麟慧雲(ずいりんえうん)大和尚 | 宝永 4年 9月17日 | 1707 | ? | − |
11世 | 大法宗覚(だいほうそうかく)大和尚 | 正徳元年 6月29日 | 1711 | ? | − |
12世 | 天隠禅登(てんいんぜんと)大和尚 | 享保 7年 2月25日 | 1722 | ? | − |
13世 | 齢瑞祖延(れいずいそえん)大和尚 | 宝暦 9年11月26日 | 1759 | ? | − |
14世 | 心宗祖鏡(しんじゅうそぎょう)大和尚 | 明和 2年10月 9日 | 1765 | ? | − |
15世 | 雲岩祖梁(うんがんそりょう)大和尚 | 文化11年10月14日 | 1814 | ? | − |
16世 | 教宗不伝(きょうじゅうふでん)大和尚 | 年月日不詳 | ? | ? | − |
17世 | 楚山禅佐(そざんぜんさ)大和尚 | 文政 7年 8月15日 | 1824 | ? | − |
18世 | 桂道宜芳(けいどうぎほう)大和尚 | 文久 3年 2月19日 | 1863 | 69 | 準中興−開山堂再建 |
19世 | 月洲祖琴(げっしゅうそきん)大和尚 | 明治24年 5月24日 | 1891 | ? | − |
20世 | 泰山恵松(たいざんえしょう)大和尚 | 昭和 2年10月20日 | 1927 | 62 | 中興−本堂再建 |
21世 | 守道泰信(しゅどうたいしん)大和尚 | 昭和40年11月18日 | 1965 | 72 | − |
22世 | 道源宗一(どうげんそういつ)大和尚 | 平成19年 8月17日 | 2007 | 90 | − |
23世 | 耕雲宗憲(こううんそうけん) | − | − | − | 現住職 |
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