西尾邸を訪ねて

-都市の記憶-

by 森竹敏朗

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ふらふらと旅に出る。

自分の知らない世界に触れるとき、ふと強い感銘をうけることがあるのはなぜだろう?。旅にでて巡り合う町に息づく歴史や育まれた文化に魅せられる時、僕らは世界観を広げて新たな可能性を信じることができる。

ほっておけば歴史は適当に作られて、やがて忘れられる。逸話となって変えられていく。人が手をかけなければ、風化していく。町はそこに住まう人達の活動で残されていく。それを仮に失ったとしたら、僕らは都市の歴史を完全に喪失してしまうだろう。

そして人々が歴史から学ぶことを忘れてしまったときにいったいどうなるのだろうか?。

人々は戦争の凄惨さを忘れ争い出すだろう。人々はものを生み出す技術を失い、奪いあいをはじめるだろう。人々は自分の将来に対して良きものを残す愛情を放棄するであろう。

都市の記憶喪失―それはもっとも恐るべき事態ではないだろうか?

僕はそのような問いかけを改めて投げかけざるをえない、ある邸宅の危機を目にした。ここに紹介したい。

* *

武田五一という建築家をご存知だろうか?。明治期から大正期の建築家で、東京帝国大学を卒業して西洋に留学した後に関西に移り、京都帝国大学に建築学科を創設し歴史的な建物を建て、関西建築界の父ともいわれるようになったひとだ。すでに日本の建築界が西洋の建築術をある程度学んだころに育った建築家だったから、洋風文化を咀嚼して和洋折衷というスタイルに実りを持たせた時代の人でもある。

その武田五一の写真展が現存する古い庄屋屋敷で行われたので訪れた。西尾邸と呼ばれるその屋敷内には武田五一が設計した洋館も現存する。感慨深く、写真に見入っていると、ふと奥から屋敷の保存会の人達の話が聞こえたきた。

展示場となっているその屋敷が、存亡の危機に瀕しているというのだ。

由緒正しい歴史を感じさせる端正なその屋敷は、手入れも行き届き今も美しい。現存する主屋は約100年前に建て替えられたものだが、ルーツをたどると約400年もの歴史を有すという。

大阪の吹田市にあるその西尾邸は、江戸期に一時期は全国一の石高の吹田の仙洞御料で庄屋を代々努めていたという。1400坪の広大な敷地に、歴史的な庄屋をしのばせる広大な「主屋」、茶道薮内流・燕庵(重要文化財)の写しの「茶室」、関西近代建築界の第一人者・武田五一の「離れ」。薮内流10台休々斎と節庵合作の「庭園」、「蔵」などが現存しており貴重な文化遺産だ。

いまや、上位の仙洞御料の床屋屋敷の面影を保持している現存建築物として確認されたのは、この西尾邸だけであり、吹田市の文化市場および皇室経済史上、貴重な文化遺産といえる。

また西尾邸は近代以降も茶の湯を中心に、さまざまな文化交流・育成の場として地域に開放されてきた。最近でも茶会、コンサート、講演会、展覧会、学生の社会見学などの多彩な文化交流の活動にも公開されている。

その屋敷が存亡の危機に瀕している。地域の人々が保存会を形成し、保存活動を繰り広げている。吹田の歴史を物語るかけがえのない財産だと語る。個性ある豊かな文化と魅力あるまちづくりをするために、保存、活用の支援をしていくのだと語る。

現存するその屋敷に住んでいらっしゃる方に会えて、親切にも離れなど案内してもらえた。

武田五一の設計によるその館は、確かに、明治期輸入された西欧建築術と国内の建築文化が微妙に融合した、美しい建物だった。随所に、関西圏の建築を風靡した建築家のこまやかなこだわりがかんじられるとともに、西欧の洋風技術と和風を折衷させた独特の技法に時代を彷彿とさせるものがある。窓の繊細な格子模様が床に影をおとすとき、あらためて日の温かさを感じる空間。きらきらとステンドガラス。居心地のよい空間だ。

そして美しい庭。豊富な緑と、自然石、地面に這う苔の上に風に揺れる木の枝から落ちる木漏れ日の玉が流れるように移ろっている。数奇屋の茶室が美しい庭の景観の中に溶け込んでいる。保存状態がとてもよく、こまやかに維持管理されていることがよくわかった。

 

時代との邂逅。そこにいけば古き生活を垣間見る空間となろう。時代の技術を後世に残すものとなるであろう。そんな空間で人々が触れ合う時、人の営みの英知や歴史を学び、語る場となるであろう。

住んでいるかたも、保存会のかたも、このままつぶしていくのはあまりにしのびないと、なんとか残していきたいという気持ちを切に伝えてくれた。保存会員は600人を超え、そして、保存の署名運動は50000人近くに達しているという。

美しい町並みや文化遺産を保存することは西洋の社会では古くから行われている。旅人はその町を訪れると、現在の国の表情と、その国のもつ歴史を同時に感じ、さまざまなことを学び深い感銘をうける。町の人々もそのような歴史を有す町に誇りを感じるであろう。

そのような世界に逢着できることの大切さを多くの人は知っているのではないだろうか?。ここ西尾邸に長い間生き続けるものを、そして多くの人が残したいと思うものを残す手がかりがどこかにないものだろうか?。一人でも多くの人に知ってもらい残すべき町を残したいという人達の活動に、共感を覚える人は多いのではないか?。

その家は開かれている。もし、保存の価値をその目で確認したいという人がいたら、きっと快いもてなしをうけるだろう。都市が記憶を喪失する前に、僕達にもできることがあるのだ。

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