設楽原古戦場いろはかるたN
今回で、古戦場いろはかるた巡りは終わりますが、引き続き4回分、いろはかるたには登場しない古戦場遺跡の紹介があります。
大久保兄弟布陣跡 場所の地図
新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。で紹介した「高坂正澄の墓」から東へ200mほど東のところにあります。
ここに登場する大久保兄弟は、大久保忠世(ただよ)・忠佐(ただすけ)のことで、有名な大久保彦左衛門の兄にあたります。天正3(1575)年5月21日にはじまった設楽原の戦いで、徳川軍の最右翼でここに布陣しました。この戦いで兄弟は大活躍し、信長や家康から賞賛されました。
大久保兄弟布陣跡 | 設楽原古戦場いろはかるた |
≪平成27(2015)年4月26日撮影≫ |
雁峰山(かんぼうやま)登り口 場所の地図
新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。雁峰山は、長篠の戦いで鳥居強右衛門が「援軍来る」のノロシを上げた山として有名です。雁峰山の強右衛門がののしをあげた場所は、ここから歩いて2時間ほどかかるようです。
登り口全景 | 雁峰山登り口の方向を示す矢印 | 設楽原古戦場いろはかるた |
≪平成27(2015)年2月28日撮影≫ |
勝楽寺前激戦地 場所の地図
勝楽寺の南方は、設楽原の最南端に位置する田園地帯で、設楽原の戦いにおいて、勝楽寺前激戦地として戦いが繰り広げられた所です。この地は、馬防柵が無く、武田軍の山県昌景隊が突こうとしましたが、徳川軍の大久保忠世・忠佐兄弟がこれを迎え撃ち激戦となりました。勝楽寺の200mほど南側に、勝楽寺前激戦地というタイトルで「京めざす 武田の雄図 今悲し」の設楽原古戦場いろはかるたが建っています。
現在の勝楽寺前激戦地 | 「京めざす・・」」の設楽原古戦場いろはかるた |
≪平成26(2014)年12月19日撮影≫ |
釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【令和5年9月9日(土):第4518号】